|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 号 : [ごう] 1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name ・ 駆逐 : [くちく] 1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction ・ 駆逐艦 : [くちくかん] 【名詞】 1. destroyer ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
深雪(みゆき)は大日本帝国海軍の駆逐艦〔#達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十八號驅逐艦ヲ 一等駆逐艦吹雪型の4番艦〔#海軍制度沿革(巻8、1940)pp.64-65『◎艦艇類別等級 大正十五年十一月二十九日(内令二三八)艦艇類別等級別表ノ通定ム|艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|第三十五號型|第三十五號、第三十六號、第三十七號、第三十八號、第三十九號、第四十號、第四十一號、第四十二號、第四十三號』』〕〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム(略)|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波』〕。 雪級の1隻〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.49『一等驅逐艦"白雪しらゆき" "初雪はつゆき" "吹雪ふぶき"(要目略)驅逐艦と云ふものは同型艦が3隻又は4隻で1個の驅逐隊を編成してゐる。そして艦の艦首附近両側にその驅逐隊の番號を白く現はしてゐる。こゝに竝んだ3隻が各11の數字を入れてゐるのがそれで、即ちこれは第十一驅逐隊に属する諸艦である。この驅逐隊はその中の一艦を司令驅逐艦に定めそれには通例大佐級の人が司令として座乗する。右端初雪の檣頭に翻へってゐるのがその司令驅逐艦たることを示す司令旗である。この3隻は共に1,700頓級の特型驅逐艦で浦波と同一威力を誇る我が海軍の驅逐艦中の新鋭である。この雪級(ユキクラス)でもう1隻"深雪みゆき"があつたが昭和9年艦隊に属して訓練中不慮の災厄により夭折したのは返へす返へすも残念であつた。』〕。 1934年(昭和9年)6月29日、第二水雷戦隊に所属して連合艦隊の演習に参加、吹雪型駆逐艦「電」と衝突して沈没した〔。 ==艦歴== === 建造経緯 === 1927年(昭和2年)4月26日、日本海軍は建造予定の駆逐艦4隻を、それぞれ第三十六号駆逐艦(横浜船渠。後の白雪)、第三十八号駆逐艦(後の深雪)、第三十九号駆逐艦(藤永田造船所。後の叢雲)、第四十四号駆逐艦(佐世保海軍工廠。後の浦波)と命名する〔#達昭和2年4月pp.45-46『達第五十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和元年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和二年四月二十六日 海軍大臣岡田啓介|横濱船渠株式會社ニ於テ建造 第三十六號驅逐艦』〕〔#達昭和2年4月pp.45-46『達第五十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス|昭和二年四月二十六日 海軍大臣岡田啓介|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十八號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第三十九驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十四驅逐艦』〕〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.208『◎第三十八號驅逐艦外二隻命名ノ件』〕。 第38号駆逐艦は、同年4月30日に浦賀船渠で起工〔#第38号駆逐艦予定p.15『起工(キール据付)|昭和二年四月三十日』〕〔#海軍制度沿革(巻11、1940)p.574『深雪(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和2-4-30|3-6-26|4-6-29』〕。同造船所では、既に第43号駆逐艦(磯波)の建造が進んでいた〔#艦船要目公表範囲(1936年12月1日)p.5『磯波|(艦要目略)|浦賀船渠會社|大正15-10-18|昭和2-11-24|昭和3-6-30|(性能略)』〕。 1928年(昭和3年)6月26日午前11時30分、第38号駆逐艦は無事進水〔『驅逐艦進水 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造ノ第三十八號驅逐艦本月二十六日午前十一時三十分進水セリ』〕〔#第38号駆逐艦予定p.16『三.六.二六前一一-四〇浦賀發 後〇-二五海軍省着 浦賀船渠株式会社社長 海軍大臣 第三十八號駆逐艦午前十一時三十分無事進水ス 二十六日』〕。その4日後、第43号駆逐艦(磯波)は竣工して浦賀を離れた〔。 8月1日附で第38号駆逐艦は深雪と改称〔。 12月10日、日本海軍は睦月型駆逐艦2番艦「如月」駆逐艦長加藤仁太郎中佐を、深雪艤装員長に任命する〔昭和3年12月11日(火)官報第587号。国立国会図書館デジタルコレクション p.8〕。 1929年(昭和4年)2月12日午後、東京湾で試運転中に伊号第24号潜水艦と衝突、スクリューに損傷を受けて4月30日の竣工予定を延期した〔#深雪工事予定p.3『(略)驅逐艦深雪ノ御引渡期日ハ昭和四年四月三十日トシテ御認許相蒙候得共去ル二月十二日第二回豫行運轉施行中潜水艦イ第二十四號ト接觸シ本艦兩舷推進器各翼第二中間軸水力軸等新製換装ノコトト相成リ是ガ代用品入手ニハ多大ノ御高配ヲ賜リ候モ乍遺憾本艦ノ工事豫定ヲ別紙概括表ノ通リ變更ノ無止ニ立至(以下略)』〕〔#伊24觸衝報告p.4『第二觸衝顛末 一.觸衝時刻 二月十二日午後二時五十分/仝場所 猪瀬島ノ二八八度一.七八浬/對手艦船名 驅逐艦深雪/所有主/浦賀船渠株式會社/艦船長氏名 三原貞次郎』〕。 6月29日に竣工〔〔『四.六.二九 前八-〇浦賀発 八-三三海軍省(四〇二)深雪駆逐艦長 大臣 受領ス』〕。艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 驅逐艦深雪艤装員事務所ヲ浦賀船渠株式會社内ニ設置中ノ處本月二十九日撤去セリ』〕。加藤艤装員長も、正式に深雪駆逐艦長(初代)となる〔昭和4年7月1日(月)官報第750号。国立国会図書館デジタルコレクション p.8〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深雪 (駆逐艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Miyuki 」があります。 スポンサード リンク
|