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『第39回NHK紅白歌合戦』(だいさんじゅうきゅうかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、1988年(昭和63年)12月31日にNHKホールで行われた、通算39回目で昭和最後のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == *この年9月に昭和天皇の病状が悪化し、日本全国で華美な放送やCMを控える自粛ムードが高まっており、この年の紅白は中止になるかと懸念されていたが、当時NHK放送総局長の遠藤利男が11月17日の会見で「(今年の紅白を)実施したい」と発言〔『朝日新聞』1988年11月18日付朝刊、30頁。〕。その発言通りに開催された。なお、昭和天皇は本紅白直後の1989年1月7日に崩御したため、昭和での紅白は今回が最後となった。 *両軍司会は2年連続で和田アキ子・加山雄三(3年連続)が担当(前回の2人の実績が買われてのものである〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』〕)。一方、総合司会には杉浦圭子が初起用、女性の総合司会起用は史上初である。加山はNHKアナウンサー以外の人物で史上初の3回並びに3年連続の白組司会担当となった。 *両軍司会の候補には、和田・加山の他に由紀さおり・北島三郎のコンビ案もあったという。なお、総合司会に起用された杉浦は前回同様、紅組司会での起用プランもあった〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕。 *和田は前回は紅組トリも担当したが、今回は中盤でのステージとなった。和田の歌手出番の曲紹介は小林幸子、佐藤しのぶら紅組歌手が行った。今回歌った「だってしょうがないじゃない」は翌年にかけてさらに売れ出し、翌年の第40回でも歌唱された。 *加山が歌手として出演する際の代理の曲紹介は先述の和田とほぼ同じ形で白組歌手が行った。 *紅組トリはこの年芸能生活25周年(且つ翌年歌手デビュー25周年)を迎え、さらに今回が連続10回目の出場となった小林幸子が務め、前回に引き続き「雪椿」を披露した。 *白組トリおよび大トリは25回出場を果たした北島三郎の「年輪」。 *今回のトリ選考では、紅組は当初松田聖子が最有力候補だった。その後、「タンスにゴン」のCMが話題になり『歌謡パレード』の今月の歌として発表された「紅とんぼ」を持つ復帰出場のちあきなおみが急追。さらに土壇場で「人生いろいろ」の大ヒットで復帰出場を果たした島倉千代子、「雪椿」がロングヒットを記録していた小林が参戦してくる構図となり、最終的に小林が選出される運びとなった。白組は例年通り北島、森進一、五木ひろし(前回担当者)の接戦となったが、白組司会兼任の加山の「My Way」で締め括ろうという案も出され、紅組以上に混戦状態になった。最終的に「今回は人物ではなく全体的な演出のひとつとして、曲で決めました」と、北島の起用が決定した〔合田『紅白歌合戦の真実』、205頁。〕。 *優勝は白組。 *関東地区における平均視聴率は、53.9%となり、またも視聴率ワーストを更新。一方、関西地区では前回の47.8%から54.9%へ、名古屋地区では前回の59.8%から61.2%と視聴率上昇を見せた〔合田『紅白歌合戦の真実』、206頁。〕。 *和田・加山の両軍司会は今回が最後となった〔翌年の第40回における両軍司会は三田佳子(今回の審査員)・武田鉄矢に交代。また、今回総合司会を務めた杉浦は翌年進行役として出演した(総合司会は先輩の松平定知に交代)。〕〔後者は以後司会を担当していない(ただし、第41回(1990年)で白組司会再登板の可能性が取り沙汰された)が、前者は第48回(1997年)で紅組司会に復帰している。〕。なお、加山が初白組司会を担当した1986年(第37回)に放送を開始し、加山の白組司会抜擢のきっかけとなった同局の『加山雄三ショー』は翌年3月に放送を終了している。加山は翌年の第40回でも出場歌手専任でオファーがあったが、「紅白において、僕のやるべきことは全てやり遂げたと思います」と辞退した。 *翌年の『大河ドラマ』の宣伝演出を行うことが慣例的な中、今回では翌年作品『春日局』の宣伝は特になかった〔放送が行われた翌年の第40回でも特に作品に触れられることはなかった。〕。ただし、同作出演者の五木、吉幾三が出場歌手に選ばれている。 *NHKアーカイブスで視聴できる紅白としては最も新しい紅白である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第39回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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