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第三の道(だいさんのみち、英語:Third Way)とは、通常は従来の2つの対立する思想や諸政策に対し、両者の利点を組み合わせた、あるいは対立を超越した、思想や諸政策である。政治思想の分野では多くの場合は、従来の資本主義と社会主義に対する新しい思想や諸政策であり、有名なものには以下がある。 *20世紀初めにオーストリア・マルクス主義が主張した、社会改良主義とボルシェヴィズム(ロシア共産主義)の対立・分裂を調停する「第三の道」。詳細は''オーストリア・マルクス主義''を参照。 *20世紀前半(両大戦間期)のファシズムが主張した、従来の資本主義と社会主義を超える「第三の道」。詳細は ''第三の位置'' を参照。 *イギリス労働党のブレア政権(1997年 - 2007年)が提唱した「第三の道」。旧来の労働党の社会民主主義路線に、新自由主義的な経済路線を採った保守党のサッチャー流市場原理主義路線を部分的に取り入れた政治路線で、ニューレイバーやラジカルな中道とも呼ばれる。イギリスの社会学者ギデンズなどによって主張され、主にヨーロッパ諸国の社会民主主義政党が取り入れた中道左派の政治路線の総称でもある。その他、共和党のレーガン政権のレーガノミクスに対抗する為に編み出された、アメリカのビル・クリントン民主党政権の政治路線(クリントノミクス)なども指す。 == イギリスでの第三の道 == マーガレット・サッチャーとその後継ジョン・メージャーの保守党政権による新自由主義政策の下で、政府による富の集権的再配分によって積極的な福祉政策と弱者救済を行うという福祉国家のモデルは次第に解体されつつあった。保守党政権は市場原理を最重要視し、経済政策への政府による介入は減らされ、民営化と規制緩和が盛んに行われた。結果として、長く続いた「イギリス病」は失業問題を除き概ね克服され、イギリスの経済構造は大きく改革・改善された。一方で、高い失業率が残り、経済格差が広がり、公共サービスを受けられない層が増大していた。 しかし、労働党は従来の産業国有化方針を脱却できず、グローバリゼーションによる市場化の波には対応できないままであった。ブレア労働党は、保守党の市場化一辺倒、労働党の市場化への適応不足という袋小路に陥った状況を乗り越える路線として、市場の効率性を重視しつつも国家の補完による公正の確保を指向するという、従来の保守-労働の二元論とは異なるもう一つの新しい路線を目指すと主張した。これが、イギリスにおける「第三の道」である。 この第三の道における公正は、伝統的社民主義の哲学が提示する結果の平等ではなく、教育の充実などの政策に立脚した上での、機会の平等に重きを置いている。これにより、移民政策にも通じる多様な文化的「差異」を前提としてグローバリゼーションへの対応を指向する。 具体的に行われた政策としては、保守党が重視してきた所得税や法人税の軽減などを継承する一方で、より社会の下層に配慮し公正を目指す就労支援や公立校改革などを展開すること、また、弱者を手当て(ネガティブウェルフェア,依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を支援(ポジティブウェルフェア,自立型福祉)すること、そして、公共サービスでのPPP(Public-Private Partnership)による官民連携、さらに、サッチャーによる中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促す地方分権(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド各地方へ地方議会の設置)などがある。また、1999年には、英国では初となる最低賃金法を導入した。 しかし、労働党がサッチャリズムを継承した事は、労働組合など従来からの労働党支持者の反発と離反を招き、その為、労働党の党員数は、1997年には40万7000人いたものが、わずか6年後の2003年末には21万5000人と、約19万人も大激減し、約70年前の水準に落ち込んだ〔英労働党員7年で半減 ブレア政権に労組反発 2004年7月9日(金)「しんぶん赤旗」 〕。 また、サッチャリズムの継承によって格差社会の是正が上手くいかなかった事は、ニューレイバーに期待して保守党から支持を切り替えた新たな支持層の離反も招いた。その結果、2005年5月5日の総選挙では、それらに加え、イラク戦争で米国に追随した労働党は大幅に議席数を減らし、2006年5月5日にも地方統一選で惨敗を喫した。 更に2009年6月5日の地方選では、議席を273以上も失い、自民党の後塵を拝し第三党に転落するという大惨敗を、欧州議会選挙でも得票率16%で第三党に転落、1900年結成の労働党が全国規模の選挙でここまでの低得票であるのは1910年以来初めてという、歴史的大惨敗を喫した〔英労働党が歴史的惨敗 欧州議選、得票率で3位 共同通信 〕。 結局、労働党は13年間政権を維持したが、2010年5月の総選挙で大敗し政権から退く事になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第三の道」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Third Way 」があります。 スポンサード リンク
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