|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 次 : [つぎ] 1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 改 : [かい] (n-suf) revision ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 内閣 : [ないかく] 【名詞】 1. cabinet 2. (government) ministry
前の第3次吉田内閣の改造内閣である。 ==概要== 日本国憲法第68条でさだめられた内閣総理大臣の国務大臣任免権による初の内閣改造である(大日本帝国憲法では総理大臣に任免権がなく、第3次近衛内閣は第2次近衛内閣の外務大臣松岡洋右を更迭するために総辞職→大命降下という手段を用いて成立した)。 1950年(昭和25年)6月17日、アメリカ合衆国国務省顧問のジョン・フォスター・ダレスが、対日平和条約の交渉を行うため来日した。ダレスは、マッカーサー元帥と会談の後、対日講和を実現する時機の到来を確認し、次いで同年6月22日に吉田茂首相との会談を皮切りに、民主党の苫米地義三最高委員長、日本社会党の浅沼稲次郎書記長らと会談し、日本側も講和条約締結の気運が上昇していく。 一方、同年6月25日には、北朝鮮軍が北緯38度線に侵入し、朝鮮戦争が勃発する。 吉田首相は講和条約締結と朝鮮戦争に対処するため、第3次吉田内閣の強化を図る必要があった。また、与党の民主自由党(民自党)内では、広川弘禅幹事長に対して大野伴睦派の攻撃が激しくなり、広川幹事長を更迭した。さらに、山崎首班工作事件以来、冷遇されていた山崎猛元幹事長などの民自党長老の吉田に対する反発を和らげ、党内融和を図る必要もあった。本改造内閣はこれらの背景をもとに発足した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第3次吉田内閣 (第1次改造)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|