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『第40回NHK紅白歌合戦』(だいよんじっかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、1989年(平成元年)12月31日にNHKホールで行われた、通算40回目で平成になって初めてのNHK紅白歌合戦。19時20分~20時55分および21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == *この年はベルリンの壁崩壊があったこともあり、ベートーヴェンの第九シンフォニーの、有名なチェロとコントラバスのメロディーの開始部分が、放送開始と同時にチェロとコントラバスの大写しで放送された。 *今回から放送時間・出場歌手も大幅に拡大され、初めて2部構成となった。放送時間は開始時刻を大幅に引き上げて当時過去最大の4時間20分になった。 *特に今回では19:20~20:55を「昭和の紅白」、21:00~23:45を「平成の紅白」として2部構成で放送した(採点の対象は第2部=平成の紅白=のみ)。 *最終回の可能性があったこともあり(後述)、両軍司会人選にあたりNHK内で局アナウンサーを推す声が多く、杉浦圭子(前回の総合司会)・松平定知の起用が当初最有力視されていた。しかし実際は三田佳子〔この以前では、第37回(1986年)で紅組司会の候補に挙がっていたとされる(同年三田は大河ドラマ『いのち』の主演を務めた)。〕(前回の審査員。夫が当時NHKプロデューサーの高橋康夫。スタッフは高橋を介して三田に紅組司会の打診をしたという〔牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』、34頁。〕。また『大河ドラマ』の主演経験者が紅白の司会に起用されるのは史上初〔この以前でも『大河ドラマ』の主演経験者が司会の候補に挙がることはあった。〕)・武田鉄矢が選出された。なお、白組司会起用が予想された松平が総合司会〔松平は第38回でも(1987年)総合司会の候補に挙がっていた。〕、紅組司会起用が予想された杉浦が進行役をそれぞれ担当した〔合田道人『紅白歌合戦の真実』、290頁。〕。 *前半部分の「昭和の紅白」では、開始時に出場歌手一同で「東京ブギウギ」を歌い、ピンク・レディーとザ・タイガースが再結成、和田弘とマヒナスターズの再出場、第35回(1984年)への出場を機に歌手業を引退していた都はるみの復活(この年デビュー25周年。この日のみの復帰と発表していたが、翌1990年、歌手活動を完全再開〔今回歌唱した「アンコ椿は恋の花」は紅白で初披露となった。なお第35回の本放送終了後には、都を送るべく出場歌手一同によって同曲が大合唱された。〕〔翌年の第41回では、引退ステージとした第35回以来の紅組トリを務めた。〕)、この年亡くなった美空ひばりの大親友・雪村いづみが、ひばりの「愛燦燦」を歌うなど様々な話題があった。また、歴代司会者である黒柳徹子・中村メイコ・森光子・藤倉修一・山川静夫・鈴木健二らが紅白についてスピーチをするコーナーも設けられた。松平からスピーチの時間につき「1分間でお願いします」と何度も放送中念を押されたものの、誰1人これを守らず、時間が大幅に押す結果となってしまった。第1部については松平中心に進行がされた。 *番組冒頭にて三田・武田の舌戦を松平が引き取り、「どちらが勝とうと世の中の大勢には何にも関わりはありませんが、これが正しい大晦日の過ごし方だと思います」と述べる一幕があった〔太田省一『紅白歌合戦と日本人』、265頁。〕。 *会場には第1回(1951年)の出演者が招待された〔本来ならば、通算15回に渡り紅白の司会を担当した宮田輝や、テレビ創世記の紅白における白組司会であった高橋圭三も招待されるはずだったが、宮田は癌のため入院中(翌年逝去)で、高橋も裏番組『第31回日本レコード大賞』(TBS系列)の実行委員を務めていた関係で出演を辞退した。〕。 *後半部分の「平成の紅白」はこの年よりアナログハイビジョン〔デジタルハイビジョンに取って替わる形で2007年9月30日を以って終了。〕での試験放送が開始されたことから、高精細度テレビジョン放送(ハイビジョン)での制作・放送が開始〔全編に渡るハイビジョン制作・放送は翌年の第41回から。〕される。1989年時点ではNHKホールにハイビジョン設備は常設されていなかったため、使用されるハイビジョンカメラの台数に限りがあったことから、第2部オープニングでの出場歌手紹介ではハイビジョンカメラでステージ全体を映し、ワイプで従来のテレビカメラで撮影し地上波とBS2用に送出している出場歌手のアップ映像を映して対応した。本編中もテレビカメラの台数が充分にある標準画質版に比べアングルの切り替えが少なくなっている。また、テロップ類はハイビジョン用に挿入され直しているため、表示位置が16:9の位置になっており質も向上されている。 *第2部のトップバッターを武田が務めた。曲紹介は谷村新司と堀内孝雄(2人は当時活動休止中であったアリスのメンバー)が行った。なお、武田は過去に海援隊として出場歴があるが、今回はソロ歌手としての初出場でもある。 *今回から歌手応援席は廃止(12年後の第52回(2001年)の第1部の演歌対決で1回だけ復活している)。 *Winkは直前に行われた『第31回日本レコード大賞』にて大賞を受賞直後にそのまま駆けつけ、曲紹介時に「レコード大賞おめでとう!」と司会にアナウンスされる。 *石川さゆりが紅白において、自身初の大トリを担当(紅組トリ自体は2回目)し、「風の盆恋歌」を熱唱した。 *優勝は紅組。 *様々な試みが行われたもののこれらは功を奏さず、当時としては観測史上最低の視聴率を記録し、関東地区では47.0%を記録した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第40回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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