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白雲(しらくも)は日本海軍の駆逐艦〔#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十二號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 白雲(シラクモ)トス』〕。一等駆逐艦吹雪型(初雪型)の8番艦で〔#艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(4番艦の深雪は除籍済)〕、特型駆逐艦〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.47『一等驅逐艦 "叢雲 むらくも" 全要目 一等驅逐艦中、特型と呼ばれるのがこの1,700頓驅逐艦である。12.7糎砲は6門、魚雷發射管は實に9門を有つてゐる大型驅逐艦である。長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米。近頃は驅逐艦も航空機に對する兵装を改善し、更に新鋭なる武器を装備し、空中からの攻撃を反撃しつゝ戦闘をつゞけなければならない。水上にあつては隊伍を組んで主力艦に肉薄し魚雷戦を挑む外に水中の敵潜水艦を驅つて輕快なる運動と機敏なる操縦によつて爆雷をもつて戦ふのである。驅逐艦生活も亦、限りなく男兒を魅するかずかずの壮烈さをもつてゐる。雲級には"薄雲 うすぐも" "白雲 しらくも" "東雲 しののめ"がある。』〕。雲級(くもクラス)の1隻〔#日本軍艦集2600年版p.44『一等驅逐艦 薄雲(うすぐも) 基準排水量1,700噸、長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米、速力34節、備砲12.7糎砲6門、魚雷發射管9門、起工大正5年10月21日、進水昭和2年12月26日、竣工昭和3年7月26日、建造所石川島造船所-特型驅逐艦。雲級にはこのほかに、東雲、白雲、叢雲の三隻がある。』〕。当初の艦名は、第42号駆逐艦〔。この名を持つ日本海軍の艦船としては白雲型駆逐艦「白雲」に続いて2隻目。太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)3月16日深夜、船団護衛中に北海道の釧路沖合で米潜水艦の雷撃により撃沈された〔#S1809一水戦日誌(5)p.7『(2)第九駆逐隊(不知火欠)第二十一駆逐隊ハ北方部隊指揮官直接指揮下ニ月頭來千島方面作戰輸送ニ従事シアリタル處十六日二三三五白雲釧路南東海面ニテ被雷沈没セリ』〕。 ==艦歴== 1926年(大正15年)9月29日、建造予定の駆逐艦4隻にそれぞれ「第三十七号駆逐艦(のちの初雪)」、「第四十一号駆逐艦(〃薄雲)」、「第四十二号駆逐艦(〃白雲)」、「第四十三号駆逐艦(〃磯波)」の艦名が与えられる〔#達大正15年9月p.15『達第九十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十五年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ一等驅逐艦四隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 第三十七號驅逐艦|石川島造船所ニ於テ建造 第四十一號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第四十二驅逐艦|浦賀船渠ニ於テ建造 第四十三號驅逐艦』〕。同日附で4隻は一等駆逐艦に類別される〔#達大正15年9月p.16『達第九十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十五號」ノ下ニ「第三十七號」ヲ、「第四十號」ノ下ニ「第四十一號」「第四十二號」「第四十三號」ヲ加フ|大正十五年九月二十九日 海軍大臣財部彪』〕。 「白雲」は藤永田造船所で同年10月27日に起工、1927年(昭和2年)12月27日に進水、1928年(昭和3年)7月25日に竣工〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『白雲|(艦要目略)|藤永田造船所|大正15-10-27|昭和2-12-27|3-7-28|(装備略)』〕。「白雲」の建造スケジュールは、姉妹艦「東雲、薄雲、磯波」とほぼ同一だった〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『東雲|(艦要目略)|佐世保工廠|大正15-8-12|昭和2-11-26|3-7-25|(装備略)』〕〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『薄雲|(艦要目略)|石川島造船所|大正15-10-31|昭和2-12-26|3-7-26|(装備略)』〕〔#艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『磯波|(艦要目略)|浦賀船渠會社|大正15-10-18|昭和2-11-24|3-6-30|(装備略)』〕。1928年(昭和3年)8月1日附で「第42号駆逐艦」は「白雲」と改名される〔。同日、第12駆逐隊に編入。同年12月1日、第12駆逐隊は第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。 1935年(昭和10年)4月、満州国の愛新覚羅溥儀皇帝が戦艦「比叡」(当時艦長井上成美大佐)を御召艦として来日することになり、第12駆逐隊(叢雲、薄雲、白雲)は御召艦「比叡」の供奉艦に指定された〔#満洲国皇帝御行動に関する件p.9『二.御召艦及供奉艦 御召艦 軍艦比叡 供奉艦 第十二駆逐隊(叢雲、薄雲、白雲)』〕。第12駆逐隊は「比叡」を護衛して日本と中国大陸を往復した。 同年9月26日、「白雲」は三陸沖で演習中、台風により多数の艦が損傷する第四艦隊事件に遭遇する。当時、第四水雷戦隊旗艦「那珂」は第11駆逐隊(初雪、白雪)、第12駆逐隊(白雲、薄雲、叢雲)、第7駆逐隊(潮、曙、朧)、第8駆逐隊(天霧、夕霧)を率いて演習をおこなっていた〔#夕霧初雪遭難事件報告(1)p.3『航行隊形』/pp.42-45『別紙第三、主ナル被害損傷調』〕。艦首切断に至った「初雪、夕霧」ほどではないものの、「白雲」は若干の被害を受けた〔#夕霧初雪遭難事件報告(1)p.44『十二驅|白雲|一.第一聯管楯魚雷格納庫蓋破損、發煙蓋筒流出/二.舵頭室水雷科倉庫進水』〕。 日中戦争に際しては1940年(昭和15年)以降、華南での沿岸作戦、北部仏印進駐作戦に参加した。1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、「白雲」と「薄雲」は第51駆逐隊を編制し、空母「赤城」および「加賀」と共に第五航空戦隊となる予定であった〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『呉|第五十一驅逐隊|薄雲、白雲|(戦時編制ニ依ル所属)第五航空戦隊』〕〔#昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』〕。しかし太平洋戦争の勃発により、「白雲、薄雲」が「赤城、加賀」を護衛する事はなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白雲 (吹雪型駆逐艦)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Shirayuki (1928) 」があります。 スポンサード リンク
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