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『第43回NHK紅白歌合戦』(だいよんじゅうさんかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、1992年(平成4年)12月31日にNHKホールで行われた、通算43回目のNHK紅白歌合戦。19時20分 - 20時55分および21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == 紅組司会はこの年下期の連続テレビ小説『ひらり』のヒロイン・石田ひかり、白組司会は2年連続となる堺正章がそれぞれ起用された。また、総合司会は2年連続で山川静夫が担当。11月18日に行われた司会発表会見で石田は「昨日事務所から聞いたばかりなので実感が沸きません。国民的行事の司会、もう芸能界を辞めてもいいかなと思っています」と手放しで喜びを見せた。紅組司会は前回担当者の浅野ゆう子、宮沢りえ、西田ひかる、坂本冬美、森口博子、小泉今日子が候補に上がるなど選考が難航したとされる〔合田道人『紅白歌合戦の真実』〕が、石田の抜擢はスタッフが『ひらり』で人気を上昇させていた彼女に目を付けたことがきっかけという〔牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』〕。 チェッカーズが本紅白を最後に解散。メンバーがステージに登場する度に客席のファンから声援が飛び交い、歌唱時のステージでそれが最高潮に達する。当初は白組トリおよび大トリでの出演が有力視されており、番組側もその方向で調整を進めていたが、この当時は紅白でグループでトリを取ったという前例が全くなかったため見送られた 小泉今日子は、紅白の隠し目玉と噂されていたが辞退し、結局白紙になった。 中山美穂が「世界中の誰よりきっと」を歌うことを理由に、一緒に参加したWANDSが演奏ゲスト扱いで出演した。 ケー・ウンスク、堀内孝雄がこの年のヒット曲となったデュエットソング「都会の天使たち」を紅白の垣根を越えて披露。これまで、男女デュエット曲の披露に際しては、曲目の選定から外すか、もしくは他方のチームに組み入れるという形でデュエット曲、あるいは出場歌手の取扱いがなされてきたが、ケー、堀内いずれも既に紅白の常連であったことを考慮してこのような形が採られた。なお、2人の曲紹介は山川が行った。 西田ひかると鈴木雅之の曲紹介時は両軍司会が入れ替わって曲紹介をした。 DREAMS COME TRUEは「晴れたらいいね〜紅白バージョン〜」〔「決戦は金曜日」「晴れたらいいね」のメドレー〕を歌唱。「晴れたらいいね」は石田主演の『ひらり』の主題歌であり、曲紹介時石田は「私藪沢ひらりこと石田ひかりもお世話になっているアーティストです」と述べた。 Xのリーダー・YOSHIKIが「Tears〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、出場歌手で大合唱。YOSHIKI自身はパイプオルガンを演奏した。なお、同曲は翌年にX JAPANが「Tears」(大部分のキーと歌詞を変更)として発売し、第44回では同グループの歌唱曲として披露された。 小林幸子の豪華衣装の電球がつかないというハプニングが発生した。当の小林は観客の反応で、電球の光が付いてなかったと悟ったという。 米米CLUBの歌唱終了時、テレビなら見ることのないセットの入れ替えの風景を放映した。 第40回(1989年)以来3年ぶりのカムバックで紅組トリを初めて務めたのは由紀さおりであり、「赤とんぼ」「どこかへ帰ろう」のメドレーを歌唱(安田祥子が舞台裏でコーラスを担当)。紅白のトリがメドレーとなるのは史上初。翌年以降は、由紀は安田とのデュオとして第52回(2001年)まで連続出場していた〔その後、由紀は第63回(2012年)で今回以来となるソロでの出場を果たした。〕。 白組トリおよび大トリはこの年デビュー30周年を迎えた北島三郎の「帰ろかな」。同曲の作曲者で、この年逝去した中村八大を追悼して歌われた。また、後述の梓みちよも中村を追悼して「こんにちは赤ちゃん」を歌唱した。 優勝は白組。 エンディングの「蛍の光」で指揮を担当した藤山一郎は、翌1993年8月に逝去した。 ゲスト審査員として宇宙飛行士の毛利衛に出演交渉を行ったが、「大晦日当日はアメリカにいる」ということで辞退した〔『朝日新聞』1992年12月5日付夕刊、17頁。〕。 関東地区の視聴率は、前回の51%から55%に上昇した。なお、この視聴率は第49回(1998年)に57%を記録するまで2部制になった紅白の中では一番を記録した。なお、歌手別視聴率ではDREAMS COME TRUEが1位で、62.0%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第43回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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