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日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)(にほんかくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめい だいよんインターナショナルにほんしぶ、略称:第四インター)は、トロツキズム系の日本の新左翼党派。 略称は単に「インター」または「四トロ」(よんとろ)と呼ばれる事もあるが、「四トロ」は対立相手からの蔑称で使用される場合が多い。 主な指導者は西京司(大屋史朗)、岡谷進、太田竜、酒井与七、織田進など。 機関紙誌は『世界革命』(旧『第四インターナショナル』)。 学生組織は「国際共産主義学生同盟」。 ヘルメットの色は赤。その上に鎌と槌を逆向きにしたマークを黒く書いていた。一方、この組織からの分派は黒いヘルメットを被っていた(プロレタリア軍団)。 == 概要 == 1957年12月、日本トロツキスト聯盟から革命的共産主義者同盟(革共同)に改称。 1958年8月、日本社会党への全面的加入戦術の提起を却下された太田龍の一派が脱党して、トロツキスト同志会が結成される(革共同第一次分裂)。 1959年1月、革共同議長だった黒田寛一が警視庁公安部に日本民主青年同盟の情報を売ろうとしていたことが発覚。8月の革共同第一回大会で黒田を除名するが、本多延嘉ら黒田を擁護した反スターリン主義派が脱党、黒田とともに革命的共産主義者同盟全国委員会を結成する(革共同第二次分裂)。 70年代には「極東解放革命-急進主義統一戦線」を掲げて、とりわけ三里塚闘争に力を入れ、1978年には成田空港管制塔占拠闘争を主導し、日本支部が掲げた成田空港の「3月30日開港阻止」のスローガンを実現させた。 1991年、第四インターナショナル統一書記局派の第13回世界大会は、80年代初頭に表面化した「性差別問題」を理由に、日本支部から「支部」としての資格を剥奪する。世界大会の決定は「女性同志の意志に応じて女性同志を第四インターナショナルのメンバーとみなす」とした。この時点で組織としての日本支部は解体した。 現在、日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)と国際主義労働者全国協議会(労働者の力)の二つのグループが「支部」ではなく「パーマネント・オブザーバー・グループ」として第四インターナショナル統一書記局に参加している。1987年に形成された第四インター女性解放グループは1995年に実質的に解散した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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