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『第51回NHK紅白歌合戦』(だいごじゅういっかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、2000年(平成12年)12月31日にNHKホールで行われた、通算51回目のNHK紅白歌合戦。19:20 - 21:25及び21:30 - 23:45にNHKで生放送された。 == 概要 == *20世紀最後の紅白。初めてBSデジタルハイビジョンでも放送された。 *両軍司会については、紅組司会には3年連続での担当となる久保純子、白組司会には翌年の大河ドラマ『北条時宗』の主演・和泉元彌が起用。久保はこの年『ポップジャム』の司会や連続テレビ小説(上期)『私の青空』のナレーションで活躍し、広い年齢層から支持を受け(「好きなタレント」調査でも上位ランクイン)、さらに結婚をしたという話題性もあって紅組司会続投が決まった。元彌はこれが地上波での初司会となったほか、翌年の『大河ドラマ』の主演者が組司会に起用されるのは初めてだった。さらに、当時青山学院大学文学部日本文学科8年生の元彌は史上初の学生の立場での白組司会担当となった。なお、今回の司会発表は11月15日に行われた。 *番組側から久保と元彌に起用の告知は11月10日に行われたという〔,スポーツニッポン,2000年11月16日〕。 *司会者が正式発表される以前の10月時点において、『ZAKZAK』は「白組司会は西城秀樹らの名前が挙がっている」と報じていた。 *司会者発表前、『スポーツニッポン』は「紅組司会は久保の3連投が有力。1996年上期の連続テレビ小説『ひまわり』のヒロイン出身の松嶋菜々子(且つ前回の審査員)も候補に挙がるが、関係者の話を総合すると久保の続投が有力」「白組司会については、前回担当者の中村勘九郎(後の中村勘三郎)〔前回は同年の大河ドラマ『元禄繚乱』の主演をした縁で白組司会に抜擢。〕が前回の司会を『最初で最後』としており、NHK側も連投の要請はしない方針。制作側では今年の紅白を「20世紀の総括」と位置付け、芸能史、歌謡史を踏まえたベテランから人選する意向だ。安定した司会ぶりに定評のある堺正章、この年の大河ドラマ『葵 徳川三代』の主演・西田敏行ら白組司会経験者も候補リストにのぼっている」と司会人選のリークを行った〔〕。後に発売された合田道人の著書によれば、「久保の紅組司会続投案に加え藤原紀香(この年4月放送の8時間45分の大型番組『BSデジタルフェアスペシャル』で司会担当)・明石家さんまの両軍司会も有力視されたほか、松嶋、西田も司会の候補に挙がっていた。白組司会には宮本隆治(実際は今回も総合司会を担当)や堀尾正明と同局アナウンサーからの登用案もあった」という。 *審査員リポートが復活し、第53回(2002年)まで続いた。 *長嶋茂雄、高橋尚子、田村亮子(現:谷亮子)が審査員を務め、開会宣言も行った。長嶋は開会宣言時に「メークドラマの始まりです」と述べた。 *野猿は前回に続いて扮装して登場。ボーカルチーム4人が茂雄の扮装で、その他のダンサーチームは高橋(6人)と田村(1人)の扮装で登場し、茂雄の扮装をして歌唱。29日に行われたリハーサルでは、メンバーの石橋貴明が急性胃腸炎で欠場した〔貴明緊急入院!紅白ピンチ 、スポニチアネックス、2000年12月30日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕〔ぶっつけ紅白も…石橋“決めた” 、スポニチアネックス、2001年1月1日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。 *初出場であったaikoの「ボーイフレンド」の歌詞には消波ブロックの登録商標である「テトラポッド」を変えた「テトラポット」というものがあり問題となった (NHKは公共放送のため、宣伝行為となる歌詞での商標名の放送を制限することがあり、紅白などの音楽番組での歌詞の変更を求めることがある。過去においては山口百恵が『NHKヤング歌の祭典』で「プレイバックPart2」を歌唱した際、歌詞の中の「真っ赤なポルシェ」のフレーズを「真っ赤なクルマ」に変更した〔1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』での歌唱時は原詞通り歌われた。〕ほか、Mr.Childrenの出演時などにも同様のケースがある。民放でも同様の理由でテトラポッドのことを「消波ブロック」「波消しブロック」と言う場合も多い)。しかし、実際には歌詞の改変は行われなかった。「テトラポット」が商標そのものではないとの判断からという説と、消波ブロックが個人で消費されるものではないとの判断からという説がある。 *hitomiは「LOVE 2000」を歌唱。同曲は高橋がシドニーオリンピック女子フルマラソンのスタート直前に聞いていたことで話題に。そのシーンの映像が曲紹介の時に放映された。 *第1部ではコーナーとして劇団四季のミュージカル『ライオンキング』から「サークル・オブ・ライフ」が披露された。 *第1部終了後、紅白に出演していた時の坂本九の映像のもと、出場歌手で「上を向いて歩こう」を大合唱した。 *安室奈美恵はこの年行われた九州・沖縄サミットのテーマソング「NEVER END」を歌唱。同曲の作詞・作曲・編曲担当で、当時安室のプロデューサーだった小室哲哉がピアノ演奏を行った。小室は曲前に久保、安室とトークを行った際、翌日に沖縄でライブを開催する事に触れ、沖縄県民に放送を通じて改めて挨拶していた。 *SMAPは自身の出番で「らいおんハート」を歌唱した。また5人でプレゼンターを務めたコーナーの最後に「夜空ノムコウ」のサビも披露した。当初、香取慎吾がこの年放送していたフジテレビ系列『サタ☆スマ』で演じたキャラクター「慎吾ママ」として出演するコーナーを設けることが予想されていたが、5人によるコーナーの設置により見送られた〔20世紀紅白 大トリは五木。 、スポニチアネックス、2000年12月22日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。 *翌元日にBS2で放送の歌舞伎の特別番組の番組宣伝を兼ねて、前回の白組司会・中村勘九郎がゲスト出演した。 *初出場の氷川きよしの応援に氷川の芸名の名付け親であるビートたけしと志村けんが登場した。 *この年下期の連続テレビ小説『オードリー』にちなみ長嶋一茂がゲスト出演。父・茂雄の見守る前で演技を披露した。 *この年デビュー30周年を迎えた天童よしみが自身の出世曲「道頓堀人情」で初の紅組トリを務めた。天童は初紅組トリ担当が決まった直後、やしきたかじんに電話で「ここまでくるとは思わなかった」と祝福を受けたと話している(たかじんも天童の紅組トリ担当を喜んだという)〔http://sankei.jp.msn.com/west/west.../waf14010812030020-n1.htm MSN産経ニュース(2014年1月8日)〕。 *白組トリおよび大トリは30年連続出場を達成した五木ひろしが担当し、「山河」を歌唱。五木は美空ひばり以来2人目、白組歌手では史上初の10回目のトリ担当となった。 *紅組トリは天童と安室で争いとなっていた〔合田『紅白歌合戦の真実』、348頁。〕。 *優勝は紅組。なお、審査員を務めた長嶋は「僕も男なので」と白組にボールを入れたという(本人談)。 *前年のケース同様、後座番組『ゆく年くる年』内で紅白出演者および観客によるカウントダウンの模様を中継することも示唆された〔http://zardthebest.tripod.com/extern/sponichi.html スポーツニッポン〕が、実施されることはなかった。 *小林幸子は「豪華な衣装で登場するのは最後」との発言をしていた〔幸子“紅白ド派手衣装”卒業 、スポニチアネックス、2000年12月25日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕が、翌年以降も豪華衣装を続けた(詳細は『第52回NHK紅白歌合戦』の項を参照)。 *ビデオリサーチ・関東地区調べでの視聴率は48.4%で、第40回(1989年)以来11年ぶりに50%を割る。瞬間最高視聴率(ビデオリサーチ調べ)は関東地区では紅組優勝が決まった瞬間に記録された52.4%で、歌手別では小柳ゆき、小林幸子、SMAP登場時の51.8%が同率で首位だった。関西地区ではピンク・レディー登場時とショーコーナーでSMAPとASIMOが登場した場面で記録された60.5%が同率一位となった〔世紀末紅白ピンクレディー60%超え 、SANSPO.COM、2001年1月5日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。 *10月時点において、『ZAKZAK』は「審査員の候補には高橋尚子、日本シリーズで優勝した場合のダイエー・王貞治監督らの名前が挙がっている」と報じていた。 *当時NHK会長の海老沢勝二による「NHK色を強めたい」との強い意向により翌年の第52回 - 第55回(2004年)まで司会陣が同局アナウンサーで固められることとなり、今回白組司会を務めた元彌を最後にNHKアナウンサー以外の司会起用は第56回(2005年)まで途絶えることとなった。また久保(翌年産休入りし第52回では司会候補から外れる)、宮本(以後司会は担当していないが、第53回(2002年)で白組司会の候補に挙がったとされる)の連続司会は今回が最後となった一方、今回審査員リポートを務めた有働由美子〔『芸能ニッポン』1999年4月号に久保と有働は確執関係にあると報じられていた(後輩である久保が先に紅白の司会に起用されたことに有働が不満を持っていたとされる)。なお、翌年の司会発表会見で有働は「久保ちゃんの産休代理です。NHKも思い切ったことやるなぁ」と述べ、報道陣の笑いを誘っていた。さらに、その次年である第53回における紅組司会選考は産休明けの久保、有働、膳場貴子(2人の後輩)で争いとなり、結果有働が続投した。〕、ラジオ中継を務めた阿部渉が揃って第52回では司会(両軍司会)に起用された(総合司会は宮本の後輩である三宅民夫に交代)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第51回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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