翻訳と辞書
Words near each other
・ 第54回国民体育大会バレーボール競技
・ 第54回天皇杯全日本サッカー選手権大会
・ 第54回日本レコード大賞
・ 第54回有馬記念
・ 第54回朝日新聞社杯競輪祭
・ 第54回皐月賞
・ 第54回選抜高等学校野球大会
・ 第54回都市対抗野球大会
・ 第54師団
・ 第54師団 (日本軍)
第54戦闘航空団
・ 第54砲兵連隊 (フランス軍)
・ 第54装甲歩兵連隊 (人民解放軍陸軍)
・ 第54軍
・ 第54軍 (日本軍)
・ 第54通信連隊 (フランス軍)
・ 第54集団軍
・ 第54飛行隊
・ 第55S飛行中隊
・ 第55回NHK紅白歌合戦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第54戦闘航空団 : ミニ英和和英辞書
第54戦闘航空団[だい54せんとうこうくうだん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦闘 : [せんとう]
  1. (n,vs) battle 2. fight 3. combat 
航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

第54戦闘航空団 : ウィキペディア日本語版
第54戦闘航空団[だい54せんとうこうくうだん]

第54戦闘航空団(JG 54)''グリュンヘルツ'' (緑のハート)はドイツ空軍戦闘航空団の一つ。第二次世界大戦において主に東部戦線を戦い、第52戦闘航空団に次ぐ第二位である9,600機の撃墜数を記録した。所属していたエース・パイロットヴァルター・ノヴォトニーオットー・キッテルギュンター・リュッツオウマックス=ヘルムート・オステルマンエミール・ラングディートリヒ・フラバクハンネス・トラウトロフトヴェルナー・シュロアーらである。
第54戦闘航空団は標準的ではない迷彩パターンでも知られている。例えば、1941年から1942年にかけてのレニングラード方面ではブラックグリーンとダークグリーンのスプリンター迷彩、黄色の機首下面と翼端下面などである。
== 部隊創設 ==
第54戦闘航空団第I飛行隊は第70戦闘航空団第I飛行隊として1939年7月にニュルンベルク近郊で編成された。部隊章はこの都市の紋章に由来するものであり、発足の地を表している。1939年9月15日に第54戦闘航空団第I飛行隊へと改称された。
第54戦闘航空団第II飛行隊は第138戦闘航空団第I飛行隊から改称された。この部隊は1938年アンシュルスの後に編成されたため、多数のオーストリア人が加わった。短期間だけ第76戦闘航空団第I飛行隊となり、1940年4月に第54戦闘航空団第II飛行隊となった。
第54戦闘航空団第III飛行隊はプロイセンのJesau地域の隊員により編成された第21戦闘航空団第I飛行隊を起源とし、1939年7月15日に改称された。しかしこれはドイツ空軍の官僚主義により年度を越えて書類に反映されたようなものである。ポーランドとフランスでは第54戦闘航空団第III飛行隊は第21戦闘航空団第I飛行隊として戦っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第54戦闘航空団」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.