翻訳と辞書
Words near each other
・ 第6戦車大隊
・ 第6方面軍 (日本軍)
・ 第6施設大隊
・ 第6施設群
・ 第6旅団
・ 第6旅団 (キルギス国内軍)
・ 第6族の元素
・ 第6族元素
・ 第6普通科連隊
・ 第6期全国協議会
第6期本因坊戦
・ 第6次ヴァル・ファジュル作戦
・ 第6次対仏大同盟
・ 第6次改憲
・ 第6次沖縄抗争
・ 第6次西成暴動
・ 第6次釜ヶ崎暴動
・ 第6次長期滞在
・ 第6歩兵師団 (韓国陸軍)
・ 第6沿岸国境旅団


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第6期本因坊戦 : ミニ英和和英辞書
第6期本因坊戦[だい6きほんいんぼうせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [き]
  1. (n,n-suf) period 2. time
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本因坊 : [ほんいんぼう]
 【名詞】 1. grand master of the game of go 
: [いん]
 【名詞】 1. cause 2. factor 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

第6期本因坊戦 : ウィキペディア日本語版
第6期本因坊戦[だい6きほんいんぼうせん]
第6期本因坊戦(だい6きほんいんぼうせん)は、第5期本因坊戦終了後の1950年に開始され、1951年4月から行われた橋本昭宇本因坊と挑戦者坂田栄男七段による七番勝負で、橋本が4勝3敗で本因坊位を防衛した。この第6期から、それまでの1期2年から1期1年制に改められ、またそれが契機となって関西棋院独立問題が発生し、関西棋院の橋本と日本棋院の坂田による挑戦手合は東西対立の様相を帯びて緊迫したものとなった。
==開催の経緯==

===制度変更の波紋(関西棋院独立)===
本因坊戦を時代の趨勢にならって1期1年制にすべきという議論は以前から行われていたが、1950年5月に行われた第5期の継承式(就位式)にて津島寿一日本棋院理事長が祝辞の中で「次期から1期1年に改めたい」と発言し、これに橋本宇太郎が本因坊である自分に諒解を得ていないと反発した。1期1年は橋本自身の持論でもあったが、唐突に当期からの実施として発表されたことを問題視した。その波紋の中で、6月に主催紙毎日新聞、及び日本棋院と関西棋院の委員が出席して行われた東西連絡運営委員会にて、全員一致でこれが決定となった。しかし当時の関西棋院は1948年に日本棋院から法人としては独立したものの、経営的には日本棋院内組織となっており、いっそうの独立を進めようとする独立派と、改善は徐々に進めようとする協調派の2派が存在しており、運営委員会に出席していたのが協調派の棋士のみだったため、関西棋院内での対立が表面化し、理事の改選か行われて協調派は一掃された。関西棋院は9月、免状発行権を得て経営的に完全に独立した上で本因坊戦と大手合に参加することを日本棋院に要求し、また光原伊太郎細川千仞ら協調派の棋士は関西棋院を離脱して日本棋院関西総本部を組織した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第6期本因坊戦」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.