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第6次沖縄抗争(だい6じおきなわこうそう)は、1990年から1992年にかけて沖縄県で起きた、三代目旭琉会対沖縄旭琉会の抗争事件。 1983年5月、旭琉会は内部抗争が原因で前年10月に殺害された多和田真山二代目会長の後を受けて翁長良宏が三代目会長に就任し、三代目旭琉会が発足。三代目旭琉会は、翁長会長と富永清理事長の組織体制で運営されることになり、その後7年間は平和が保たれていた。ところが1990年に入り、翁長派と富永派の内部対立が表面化するようになった。 1990年9月13日、翁長派の丸長一家事務所に富永一家の組員が乱入し、総長の弟に重傷を負わせる事件が発生した。この事件を受けて、旭琉会は17日に富永派の絶縁処分を発表したが、富永派はこれに対抗し19日に沖縄旭琉会を結成、旭琉会は分裂した。 2組織の間では分裂直後から過激な抗争が繰り広げられ、無関係の高校生や覆面パトカーで警戒中の私服警察官2名がそれぞれ対立組織の組員と間違われて射殺される、ほかにもカーチェイスや火炎瓶連続投擲などがあり、組員・関係者だけでなく一般市民や警察官にも被害が及んだものも含め、事件が相次いだ。そのため一般世論をも巻き込む暴力団排除の風潮が強まり、暴力団対策法の制定や沖縄県警の取り締まり強化に繋がった。 暴対法施行直前の1992年2月に終結宣言が出され、抗争は終結した。 == 高校生射殺事件 == 1990年11月22日、フェンスを取り付けるアルバイトをしていた高校生が、三代目旭琉会の組員と間違えられた結果、沖縄旭琉会の組員に拳銃で射殺された。実行犯3名はまもなく逮捕されたが、実行を指示した2名は指名手配され、それぞれ94年と95年に逮捕された。実行犯3名については裁判の結果、無期懲役と懲役20年の刑が確定した。 刑事裁判とは別に、被害者高校生の両親は実行犯3人に加え、富永会長と系列島袋一家の島袋為夫総長の2人にも損害賠償を求める民事訴訟を那覇地方裁判所に起こした。この民事裁判については、実行犯・会長側と被害者側の双方の上告によって最高裁まで争われたが、2000年12月19日に最高裁第3小法廷(千種秀夫裁判長)で上告審が開かれ、この上告審で最高裁は、会長らの共同不法行為責任を認め、約5750万円の支払いを命じた二審判決を「正当で是認できる。」として支持し双方の上告を棄却、これによって会長らの敗訴が確定した。暴力団抗争の巻き添え死で、暴力団のトップの責任を認めた最高裁判決はこれが初であった〔組幹部に賠償責任/那覇の高校生抗争巻き添え死 (琉球新報2000年12月19日)〕〔「被害者救済に道」/関係者、最高裁判決を評価 (琉球新報2000年12月19日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第6次沖縄抗争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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