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『第7回NHK紅白歌合戦』は、1956年(昭和31年)12月31日に東京宝塚劇場で行われた、通算7回目のNHK紅白歌合戦。21時05分 - 23時30分にNHKで生放送された。 == 概要 == *テレビとラジオで同時中継されたが、VTRが無かった当時故に映像は現存せず、ラジオ中継の音声と写真のみが現存する。 *現存するラジオ中継の音声は全145分中の約130分強であり、松島詩子の音声とエンディングの「蛍の光」大合唱の音声は現存しない。松島1人を除いて、他の全ての出場歌手たちの歌の音声は現存している。 *2004年にNHKラジオ第1で放送された特集番組内で、現存するラジオ中継の音声のうち、江利チエミの歌の音声が紹介された。 *両軍司会は2年連続で同期同士である宮田輝・高橋圭三(4年連続)による男性コンビとなったが、今回以降、両軍司会が男性同士になるケースは第58回(2007年)の中居正広(SMAP)・笑福亭鶴瓶までなかった。また、司会陣がNHKアナウンサーで固められるケースも今回を最後に第52回(2001年)までなかった。 *時間枠が大幅に拡大されたことに伴い、紅・白それぞれ25組の歌手が出場。以後、時間枠の変動などはあるものの、出場者数については概ね20組から30組の間を推移している。 *雪村いづみが、当時映画の掛け持ち出演など連日のハードスケジュールから、本番当日に急性胃痙攣に罹り出場を辞退。第2回の紅白では松島詩子の交通事故の際に急遽越路吹雪を出したNHKであったが、今回では突然の出来事で代役を立てる事も出来なかったことから、やむなく雪村の出番を飛ばす措置を取った(雪村が歌う予定であった曲目は「マンボ・バカン」、対峙する予定であった白組歌手は小坂一也であった)。 *鈴木正夫、鈴木三重子が史上初めての親子同時出場となった。異なる出場者間で直接的な血縁関係のある歌手が同時に出場した例も初となった。 *今回は紅組トリに笠置シヅ子、白組トリに灰田勝彦と共に第4回(1953年12月)以来3年ぶり4回目の出場同士の歌手が両軍トリに起用された。返り咲き出場者のトリ起用は紅組歌手では初めて、返り咲き出場者同士のトリは今回のみである。 *優勝は白組。 *今回使用したマイクロホンは、司会者・歌手用共にNHK技研設計RV-A型。 *宮田は今回で一旦司会担当を退いたが、第13回(1962年)でこの年の完全フリーアナウンサー転身に伴い、前年で連続白組司会を降りた高橋の後任(白組司会)として司会復帰。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第7回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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