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『第9回NHK紅白歌合戦』(だいきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1958年(昭和33年)12月31日に新宿コマ劇場で行われた、通算9回目のNHK紅白歌合戦。21時10分 - 23時35分にNHKで生放送された。 == 概要 == *テレビとラジオで同時中継されたが、映像は現存せず、ラジオ中継の音声と写真のみ現存する。これは放送局用の2インチVTRが当時世に出たばかりで機器・テープ共々非常に高価で大型であり、資料として録画・保存するどころではなかったためである。 *現存するラジオ中継の音声は全145分中の約140分間であり、全ての出場歌手たちの歌の音声は現存している。 *2010年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、現存するラジオ中継の音声のうち、8人の出場歌手達の歌の音声が紹介された(音声はモノラル)。紹介された歌手達は以下の通り(各組歌唱順)。 * 紅組 … 松山恵子、江利チエミ、大津美子、淡谷のり子 * 白組 … 神戸一郎、フランキー堺、三波春夫、三浦洸一 *黒柳徹子が初司会。上記の江利と淡谷の歌の音声の紹介の時には、黒柳の曲紹介の音声も一緒に紹介された(後の声と比べると高い声をしている)。当初、番組側は当時常連出場歌手の楠トシエを紅組司会に起用する予定だったが、当時は歌手兼司会が認められておらず、歌手としての出場を希望した楠がその打診を断った。楠に続いて打診を受けた黒柳は「歌手の方と付き合いが乏しい」と拒否したが、番組側の説得に応じる形で最終的に引き受けた〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年。〕。なお、次の黒柳の紅組司会起用は第31回(1980年)まで22年間待つこととなる(これは後に自身が更新するまで司会返り咲きまでの最長ブランクとなった。ただしこの間、応援ゲストとしての出演はあったほか、幾度か紅組司会の候補に挙がることがあった)。 *この当時は民放各局で紅白同様、外部の大型劇場を借り切っての歌謡番組が大晦日の「目玉プログラム」として編成されていたため、出場歌手の大半が紅白の放送が始まる時点でまだ会場に到着していないという異常事態が起きている。その混乱ぶりから、黒柳は松島詩子の出番の際に、誤って「渡辺はま子さん」と紹介してしまうミスを犯している(しかし後年、テレビ朝日系列『徹子の部屋』に松島がゲスト出演した際に、黒柳はこの件につき謝罪したところ、当の松島本人はすっかりこの時の黒柳のミスのことを忘れていた)。 *また、下記出場者表によれば、江利チエミとフランキー堺の対戦カードは、織井茂子と津村謙の対戦の次に執り行われたことになっているが、当初の予定では両カードの順番は逆であった。フランキーがこの年TBS系列『私は貝になりたい』の反響により、大晦日のスケジュールが過密を極めており、本来予定となっていた出番の時間になっても会場のコマ劇場に未だ到着していないというトラブルが発生。やむなく、フランキーが到着するまでの間、江利と彼の対戦を後回しにするという措置が採られた結果、両カードの順序が予定とは逆になってしまったとされる。 *当時江利チエミと婚約していた高倉健が紅組の応援ゲストでステージに登場し、「是非、紅組に勝たしてやってください」とスピーチした。 *ダークダックスが初出場したのが今回である。初めてグループでの出場者ということで紅白側は団体には団体でという方針を取り、ダークの対抗馬として七光り三人娘を出場させようとしたところ、既に紅白へソロで出場を果たしていた朝丘雪路がこの形の出演を拒絶したため水谷良重・東郷たまみに沢たまきという即席ユニットが組まれた(朝丘はソロで出場)。東郷・沢は今回のみの出場に終わっている。 *当時はまだテレビの音響設備が不完全であり、それに加え、今回の会場となったコマ劇場が円形のステージであったこと、また、観客からの声援が終始凄まじかったことも手伝い、紅組トリおよび大トリを務めた美空ひばりを始めとして、後ろの楽団の演奏が全く聞き取れず、歌っている最中に演奏と歌がずれてしまうケースが多発。歌手側や局関係者からも「コマ劇場の使いにくさ」を指摘する声が上がり、結局、コマ劇場を会場とした紅白は今回1度のみに留まってしまった。 *今回前後しばらくの間は出場歌手の選考方針として、「各ジャンルの代表歌手を必ず一人は入れる」というのが基礎になっていたため、ラテン・シャンソン・タンゴ・ジャズなど様々な歌手が出場している。 *7対4で紅組の優勝(当時は審査員のみ。審査員は下記参照)。 *今回使用したマイクロホンは、司会者・歌手用共にAIWA VM-15。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第9回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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