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第一インターナショナル(first International)または国際労働者協会(International Workingmen's Association、以後「IWA」と略記)は、ヨーロッパの労働者、社会主義者が1864年11月1日に創設した世界初の国際政治結社。ブリテンの素朴単純な労働組合主義者の確執やフランスで影響力をもったアナーキズムとの対立によって分裂、崩壊した。ここでは1840年代の国際労働運動を起点に1860年代のIWAの設立と活動を論じる。 == 前史 == === チャーティズム時代 === IWA創立までには、ヨーロッパにおけるナショナリズム運動や労働者階級の長い苦闘の歴史がある。グレート・ブリテン王国ではチャーティスト運動や反穀物法運動、また労働組合運動が展開されたほか、ヨーロッパ大陸およびブリテン諸島ではフランス革命、ギリシア独立戦争、フランス七月革命、ベルギー独立革命、アイルランドのジャガイモ飢饉、1848年革命など事変が相次いで生じていた。これは「旧体制」支配者の「敗北」を意味するものであり、各国のナショナリズム、改革の運動を刺激するものであった。なかでもブリテンの労働運動・政治運動は特筆するものがある。とりわけ、チャーティスト運動はマルクスの理論形成に大きな影響を及ぼし、国際労働運動の祖先形をなすものであった〔ベア (1975年) 34-35ページ〕。 1845年9月、チャーティズム最左派の指導者ハーニー(George Julian Harney) によって「友愛民主主義者協会」が設立された。IWAはチャーティストと大陸民主主義者の交流から生まれたものであり、国際主義の性格を強くおびていた。1850年に入っても多数の指導者たちが参集して多数の大会および国際集会を開き、「地球とそれが生み出す全ての自然の生産物は、全ての人間の共有財産である」という宣言を採用している。ハーニーは、抑圧され困窮に喘ぐ労働者の状態は万国で同一であり、彼らの解放のための主義も同一であるとして、共通の大義のために友愛と連帯をふかめるべきだと訴えた〔古賀秀男 (1980年) 198-201、239、259ページ〕。 一方で、ハーニー、アーネスト・ジョーンズをはじめチャーティスト指導者はカール・マルクスやフリードリッヒ・エンゲルスと親交を深めていった。 マルクスなど亡命中の革命家たちがチャーティストの同士達に加わって、各国代表書記が設置されて国際団体の様相を呈することになる。エンゲルスは「エンゲルス商会」の経営に携わるための研修で1842年秋ブリテンにわたっており、『ノーザン・スター』編集者のハーニーを訪ねていた。翌年、エンゲルスはパリに行った際にマルクスと再会しており、郷里に戻ったときにかの有名な『イギリスにおける労働者階級の状態』という著作を世に発表している。1846年に発足したマルクスらの共産主義者通信委員会は、エンゲルス・ハーニーの協力を得てチャーティストと急速に接近していった。大陸での革命運動を支援していく「友愛民主主義者協会」とその後マルクスが参加していた「ブリュッセル民主主義者協会」のネットワークが確固としたものとなった。1849年になると、マルクスはラッサールの援助でロンドンに移住している。マルクスの研究は移住先のロンドンで更なる発展を遂げている〔同上 (1980年) 244-252ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一インターナショナル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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