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第一次フィッシャー砦の戦い(だいいちじフィッシャーとりでのたたかい、)は、南北戦争の終戦近くに、ノースカロライナ州ウィルミントン郊外フィッシャー砦に対して、北軍の陸軍と海軍が合同で行った一回目の攻撃である。フィッシャー砦は「南部のジブラルタル」と言われることもあり、南軍最後の主要海岸拠点であり、南北戦争を通じて莫大な戦略的価値があった。北軍の陸軍はジェームズ軍指揮官のベンジャミン・フランクリン・バトラー少将が率い、1864年12月23日から27日まで続いた。 北軍の海軍はまず砦の壁を壊そうとして、火薬を満載した船を爆破しようとしたが、失敗した。続いて砦の戦力を弱め、降伏を強いるために2日間の艦砲射撃を行った。その2日目、陸軍が砦を包囲するために部隊の上陸を始めた。しかし、バトラーは敵の援軍が接近してきているという報せを受け取り、気象条件が悪化する中で、砦が難攻不落であると宣言して、作戦を中止した。バトラーはその2週間後に解任され、アルフレッド・テリー少将が後任になった。 == 背景 == バトラー少将とそのジェームズ軍はバミューダ・ハンドレッド方面作戦で失敗した後、フィッシャー砦に対する水陸協働の遠征任務を与えられた。ユリシーズ・グラント中将は元々、バトラーの部下の一人であるゴッドフリー・ワイツェル少将をその遠征の指揮官に宛てていたが、バージニアおよびノースカロライナ軍管区指揮官としてのバトラーが、自らその遠征を指揮することを要求し、グラントがそれを黙諾した〔Gragg, p. 36-37.〕。遠征に使う部隊はジェームズ軍から選定し、第24軍団の第2師団、第25軍団の第3師団、さらに重砲兵と工兵の2個大隊が付けられた。グラントの参謀からサイラス・B・コムストック大佐が同行して工兵技師長を務めた。デイビッド・ディクソン・ポーター海軍少将の率いた海軍遠征隊は、この戦争の中でも最大の艦隊となり、60隻近い戦闘艦に加え、兵士を運ぶ輸送艦が付いていた〔Gragg, p. 35-36.〕。 バトラーはUSS''ルイジアナ''を連れて行く作戦も立てた。この艦に200トンの火薬を詰めておき、封鎖破りを装ってフィッシャー砦の下に動かし、砦の海側の壁から約100ヤード (90 m) の位置で座礁させ、自爆させる作戦だった。その爆発で砦も壊せると期待していた。北軍の高官の多く(グラントやギデオン・ウェルズ海軍長官など)はその作戦が機能するかを疑ったが、エイブラハム・リンカーン大統領が承認した〔Pelzer, p. 41-42; Fonvielle, p. 101-102.〕。北軍の作戦の最終案はハンプトン・ローズで艦船を集合させ、そこで陸軍兵が輸送艦に乗船することになった。攻撃に使われるモニター艦(装甲艦)はフィッシャー砦まで曳航する必要があったために、海軍艦船は輸送艦よりも12時間早く出発することになった。軍艦はボーフォートで燃料を補給することとなり、フィッシャー砦で輸送艦と落ち合い、その後に''ルイジアナ''を爆破してから、艦砲射撃の援護下に陸兵が上陸するというものだった〔Fonvielle, p. 108.〕。 南軍のフィッシャー砦は「南部のジブラルタル」という綽名があり〔Gragg, p. 14.〕、ケープフェア川を支配する手ごわい標的だった。長さは14,500フィート (4,420 m) あり、これを厚さ10フィート (3 m) の胸壁が囲んで防弾仕様となっており、その大半は高さが30フィート (9 m) あった。その周りに多くの障害物が置かれていた。例えば当時トーピードと呼ばれた地雷、逆茂木、深い壕があった。重砲が50門以上あり、その中にはコロンビヤード砲が15門と150ポンド・アームストロング砲1門が、海に近い土盛り厚さ60フィート (18 m) の背後にあり、マウンド砲台と呼ばれた。砦の守備隊は1,400名であり、ウィリアム・ラム大佐が指揮した。4マイル (6 km) 離れたシュガーローフにいるブラクストン・ブラッグ将軍の部隊から援軍を送ることも可能だった。この部隊は北バージニア軍のロバート・F・ホーク少将師団であり、12月13日に到着した〔Gragg, p. 18-21.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一次フィッシャー砦の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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