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第一次ベララベラ海戦(だいいちじベララベラかいせん、)は、太平洋戦争中の1943年8月17日にソロモン諸島ベラ湾で発生した海戦である。アメリカ軍側の呼称は、ウィキペディア英文版では前記のようにホラニウ海戦としているが、特に記していない資料もある〔The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II 〕。 ==背景== 7月5日以降のニュージョージア島での戦いでアメリカ軍は、度重なる苦戦や上陸部隊指揮官の入れ替え、可能な限りの予備兵力の投入などを経て〔ニミッツ、ポッター、167ページ〕、8月5日にはムンダ飛行場の占領に成功。しかし、ニュージョージア島に残っていた日本軍はその後も数週間にわたってアメリカ軍を翻弄し、一部兵力は敵わないと見るやコロンバンガラ島へ逃れて同島の防備隊に加わった〔ニミッツ、ポッター、168ページ〕〔ポッター, 363ページ〕。第3艦隊(南太平洋部隊)司令官ウィリアム・ハルゼー大将やその幕僚たちは、ムンダ占領には一応の満足を示したものの、その経過については極めて不満であり〔、これ以上ジャングルでの戦闘を重ねるべきではないという考えすら芽生えていた〔ポッター, 365ページ〕。次の攻略目標はコロンバンガラ島にある日本軍飛行場であったが〔、増援が重ねられていたコロンバンガラ島の兵力は相当なものであると見積もられていた〔〔。そこでハルゼー大将は、アリューシャン方面の戦いでキスカ島より西方のアッツ島を攻略した先例に倣い、コロンバンガラ島を無視して、その西方にあり防御が手薄なベララベラ島を攻略することに決めた〔〔ポッター, 366ページ〕。ハルゼー大将は作戦計画変更のため、南西太平洋方面総司令官ダグラス・マッカーサー大将の下にオーブリー・フィッチ少将を派遣して作戦計画変更の承認を何とか取りつけ、ベララベラ島攻略が正式に決まった〔ポッター, 366、367、368ページ〕。 8月15日、セオドア・S・ウィルキンソン少将率いる第三水陸両用部隊は、占領したばかりのムンダ飛行場に配備された戦闘機部隊の援護の下、ベララベラ島南端のビロア地区に約6,000名の部隊を上陸させた〔ニミッツ、ポッター、169ページ〕〔『第三水雷戦隊戦時日誌』C08030105900, pp.21〕。ベララベラ島の日本軍の守備隊は600名だったばかりか〔、上陸地点の地区には配備させていなかった〔。日本軍は基地航空隊による攻撃を行ったが、ほとんど戦果はあげられなかった〔佐藤, 89ページ〕。上陸したアメリカ軍は陣地を構築し、シービーズが飛行場の建設を始めた〔ポッター, 368ページ〕。やがて、アメリカ軍に対する反撃がないと確信すると、上陸部隊は海岸沿いに二手に分かれて戦線を北上させ、またニュージーランド軍部隊を呼び寄せて戦力の増強を行った〔。 ベララベラ島上陸は、日本軍の防衛計画を根本から揺るがせることとなった。コロンバンガラ島への兵力増強策が、ブーゲンビル島防衛強化の時間稼ぎにつながっていたものが〔、ブーゲンビル島と海峡一つ隔てたベララベラ島にアメリカ軍が上陸したことで、ブーゲンビル島やショートランド諸島が直接の脅威に晒される可能性が極めて大きくなった。これに対し日本軍は、ベララベラ島北東のホラニウへ陸軍部隊と海軍陸戦隊を送り込む事を決める〔『戦史叢書96』267ページ〕。陸軍部隊は、ラバウルからブインに送られた、第六師団(神田正種中将)から派遣された二個中隊をあてる事とした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一次ベララベラ海戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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