|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 第一 : [だいいち] 1. (adv,n) first 2. foremost 3. # 1 ・ 第一次 : [だいいちじ] 【名詞】 1. the first .. 2. primary ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一次 : [いちじ] 1. (adj-na,n) first 2. primary 3. linear (equation) 4. first-order ・ 次 : [つぎ] 1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station ・ 頂 : [いただき] 【名詞】 1. (1) crown (of head) 2. summit (of mountain) 3. spire 4. (2) easy win for one 5. (3) something received ・ 頂上 : [ちょうじょう] 【名詞】 1. top 2. summit 3. peak ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 上作 : [じょうさく] 【名詞】 1. good crop 2. masterpiece ・ 作 : [さく] 1. (n,n-suf) a work 2. a harvest ・ 作戦 : [さくせん] 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
第一次頂上作戦(だいいちじちょうじょうさくせん)とは、警視庁および各県警本部が、1964年(昭和39年)2月から1969年(昭和44年)4月まで行った暴力団壊滅作戦。暴力団の資金源を断ち、暴力団のトップや最高幹部の検挙を徹底的に行い、暴力団組織の解体を目的とした〔頂上作戦と呼ばれるものには、他に第二次頂上作戦(1971年~1972年)と第三次頂上作戦(1975年~1978年)がある〕。 == 第1次頂上作戦開始まで == 1961年(昭和36年)2月21日、池田勇人首相は、「暴力犯罪防止対策要綱」を閣議決定した。1964年10月10日から東京オリンピックの開催を控えており、治安強化を図る必要に迫られていたためだった。しかし、下記のように暴力団抗争事件は頻発した。 1962年(昭和37年)1月16日、夜桜銀次事件が勃発した。 同年3月13日午後10時30分ごろ、大垣市高島町のバー「夕暮」で、山口組柳川組西原組組員と本多会系河合組組員と喧嘩になり、その後、山口組と本多会の暴力団抗争に発展した。 同年3月、警察庁は、神戸・山口組(組長は田岡一雄)、神戸・本多会(会長は平田勝市)、大阪・柳川組(組長は柳川次郎。本名は梁元錫)、熱海・錦政会(後の稲川会。会長は稲川裕芳で、後の稲川聖城)、東京・松葉会(会長は藤田卯一郎)の5団体を広域暴力団と指定し、25都道府県の県警に実態の把握を命じた。 1963年(昭和38年)、国鉄三ノ宮駅前に、地下街「さんちかタウン」が建設されることが決まった。山本健一が、さんちかタウンの工事の用心棒を請け負うことになった。まもなく、山本健一は逮捕され、収監された。吉川勇次と地道行雄が、さんちかタウンの用心棒を、山口組直轄で行うようにした。地道行雄は、岡精義を通じて、さんちかタウンの建設を請け負った建設会社から、用心棒代を出させた。これが後に、山口組に対する第一次頂上作戦の突破口となった。 同年3月1日、柳川次郎は、1964年に起こした債権取立てに絡んだ恐喝容疑の裁判で懲役1年が確定し、大阪刑務所に服役した。山口組若頭・地道行雄が、三代目山口組若中・清水光重(後の三代目山口組若頭補佐)を柳川組の目付役とした。 同年3月、グランドパレス事件が勃発した。 同年4月17日、第二次広島抗争が勃発した。 同年9月5日、石川県山中温泉のキャバレー「リンデン」で、松葉会金沢支部の者が、二代目本多会山中支部の者に射殺された。その報復として、松葉会金沢支部6人が、本多会山中支部前で、本多会山中支部長を射殺した。 同年9月27日午後11時15分ごろ、花形敬刺殺事件が勃発した。 同年11月9日午後6時9分ごろ、田中清玄銃撃事件が勃発した。 同年11月28日、福岡県北九州市小倉区のクラブ「美松」前で、工藤組(後の工藤會。組長は工藤玄治)幹部・前田国政が、山口組菅谷組組員2人に射殺された。 同年12月8日夜、紫川事件が発生した。 同年12月21日〔「第046回国会 法務委員会 第30号」 と「国会会議録・第077回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第22号」 では、結成披露日を12月21日と記載されているが、山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9では11月21日と記述されている〕、東京・松葉会、熱海・錦政会、東京・住吉会(会長は磧上義光)、東京・日本国粋会(会長は森田政治)、川崎・義人党(会長は高橋義人)、東京・東声会(会長は町井久之。本名は鄭建永)、東京・北星会(会長は岡村吾一)は、右翼活動家・児玉誉士夫の提唱する関東会に参加した。 同日、関東会の結成披露が、熱海の「つるやホテル」で行われた。松葉会・藤田卯一郎会長が、関東会初代理事長に就任した。児玉誉士夫、児玉誉士夫らが1961年(昭和36年)に結成した青年思想研究会(略称は青思会)常任諮問委員・平井義一元衆議院議員、青思会諮問委員・白井為雄、青思会常任実行委員・中村武彦、青思会常任実行委員・奥戸足百、松葉会顧問・関根賢、三代目波木一家・波木量次郎総長が関東会結成披露に出席した〔出典は、大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.273~P.274〕。 同年12月下旬、関東会は、関東会加盟7団体の名で、「自民党は即時派閥抗争を中止せよ」と題する警告文を、自民党衆参両議院200名に出した。自民党衆議院議員・池田正之輔は、この警告文を、激しく非難した。警告文は、自民党の治安対策特別委員会で、議題に取り上げられた。これは、暴力団が連帯して政治に介入してきた、初めての事件だった。河野一郎派を除く衆議院議員と参議院議員は「関東会からの警告文は、児玉誉士夫と親しい河野一郎を擁護するものだ」と判断し、検察と警察当局に関東会壊滅を指示した〔出典は、大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4のP.274~P.275〕。 1964年1月、「暴力取締対策要綱」が作られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一次頂上作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|