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第一航空艦隊(だいいちこうくうかんたい)とは、日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊のことである。この艦隊を中核に他の艦艇を合わせた世界初の空母機動部隊として運用された。大戦後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として作戦を行う機動航空部隊として運用された。 == 歴史 == === 空母機動部隊 === 1941年(昭和16年)4月10日、南雲忠一海軍中将を司令長官として編成(艦隊参謀長は草鹿龍之介少将)された。第一航空戦隊「赤城」「加賀」、第二航空戦隊「飛龍」「蒼龍」の航空母艦を基幹としたが、太平洋戦争開戦直前に第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が編入された。 各航空戦隊に付属する少数の旧式駆逐艦を除けば空母だけの編制であったため、軍隊区分により第一艦隊や第二艦隊から臨時配属された護衛艦艇を伴うことになり、1つの機動部隊として建制化されてはいなかった。このため南雲長官は最後まで部隊としての思想統一に苦しんだ〔戦史叢書43ミッドウェー海戦638-639頁〕。 草鹿参謀長は攻撃は一太刀と決め周到な計画の下行いすぐ他の敵に構えることを信念にした〔戦史叢書10ハワイ作戦181頁〕。 南雲長官は航空に関しては素人であり、草鹿参謀長も源田実航空参謀を評価し献策を入れたため〔草鹿龍之介『連合艦隊参謀長の回想』光和堂40頁〕、源田艦隊と呼ぶ声まであった〔源田実『真珠湾作戦回顧録』文春文庫1998年312頁〕。源田参謀は従来所属艦で行われた航空隊の指揮と訓練を機種ごとに分けた空中指揮に変更した〔文芸春秋『完本・太平洋戦争〈上〉』1991年37頁〕。また先制奇襲を行うために接敵行動中の隠密行動を重視して空母を集中運用し、攻撃隊の空中集合も容易にし、戦闘機や対空砲火も集中させた。〔源田実『海軍航空隊始末記』文春文庫60-61頁〕 1941年12月8日、太平洋戦争劈頭のハワイ真珠湾攻撃でアメリカの戦艦4隻撃沈、2隻大破させアメリカ太平洋艦隊を行動不能にする大戦果をあげた。その後は南下してニューギニア、オーストラリア、インド洋を転戦し連合軍の主要根拠地を覆滅しながらの大航海をした。ラバウル・カビエン攻略支援、ダーウィン攻撃、ジャワ海掃討戦などで活躍し太平洋の制空権を獲得した。1942年(昭和17年)4月の艦隊編制改訂で、隷下部隊として第十戦隊(軽巡洋艦「長良」と駆逐艦12隻)が新設され、固有編制の護衛艦艇を持つようになった。その後座礁事故を起こした「加賀」を除いた5隻の空母を中心にインド洋に進出しセイロン沖海戦では群を抜く命中精度の急降下爆撃で空母ハーミーズ撃沈後余力を以て他多数撃沈、トリンコマリー港を爆撃する戦果を挙げた。 インド洋作戦までで確実に計471機は撃墜しており損失は10分の1もなく、艦艇には一隻の被害もなかった〔千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫103頁、秦郁彦『実録太平洋戦争』光風社34頁〕。史上類のない連続的勝利を記録し第一航空艦隊は世界最強の機動部隊となるが、連戦連勝から疲労と慢心が現れていた〔 大浜徹也,小沢郁郎『帝国陸海軍事典』同成社p237〕。 インド洋から帰還した機動部隊は休む間もなくミッドウェー作戦を命令された。準備期間がなく、大規模な人事異動もあり、第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」も引き抜かれ、4隻の空母で作戦に参加した。1942年6月のミッドウェー作戦では、同時に実施されたアリューシャン作戦に参加する第四航空戦隊「隼鷹」、「龍驤」基幹の部隊を軍隊区分により第二機動部隊としたため、従来の第一航空艦隊基幹の機動部隊は第一機動部隊としてミッドウェー作戦に参加した。ミッドウェー作戦は、空母4隻を失って失敗に終わり、海戦後に第一航空艦隊は解隊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一航空艦隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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