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第三次マラーター戦争 : ミニ英和和英辞書
第三次マラーター戦争[だいさんじまらーたーせんそう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第三 : [だいさん]
 (n) the third
第三次 : [だいさんじ]
 【名詞】 1. the third .. 2. tertiary
: [み]
  1. (num) three 
三次 : [さんじ, みよし]
 【名詞】 1. three times 2. cubic 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

第三次マラーター戦争 : ウィキペディア日本語版
第三次マラーター戦争[だいさんじまらーたーせんそう]

第三次マラーター戦争(だいさんじマラーターせんそう、英語:Third Anglo-Maratha War)は、1817年から1818年にかけて、 北インド中央インドで行われたイギリス東インド会社マラーター同盟の間における戦争。
この戦争はマラーター戦争最後の戦争であり、イギリスとマラーターとの最終決戦である。イギリスはこの戦争によりマラーター同盟を完全に解体させ、デカンおよび中央インドを制圧した。戦争の結果として、マラーター王国とマラーター諸侯はイギリスに従属する藩王国となった。なお、これと併行してピンダーリー戦争が行われた。
==開戦に至る経緯==

===第二次マラーター戦争終結後のインド===

先の第二次マラーター戦争は、ホールカル家の当主ヤシュワント・ラーオ・ホールカルの奮戦によりイギリスと互角に戦い抜き、1805年12月に講和が結ばれて終結していた。だが、その平和も10年足らずですぐに打ち砕かれることとなった。
まず、1811年にイギリス打倒のために日々心血を注いでいたヤシュワント・ラーオ・ホールカルが突然死したのだった。後を継いだのはまだ幼少の息子マルハール・ラーオ・ホールカル2世だった。
つぎに、1806年初頭にホールカル家、シンディア家ボーンスレー家の領土をはじめとする中央インドが無政府状態となり、マラーターの補給部隊である盗賊ピンダーリーが急速に勢力を拡大した〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.230〕。彼らはマラーター戦争で職業を失った軍人を引き入れ、シンディア家やホールカル家と組み、富を求めてイギリスの植民地を毎年のように略奪した〔。
そして、最後はマラーター同盟の内紛だった。1802年マラーター王国の宰相バージー・ラーオ2世はイギリスとバセイン条約を締結しマラーター諸侯の反感を買い、第2次マラーター戦争の原因を作ったが、またしても同じ過ちを繰り返そうとした。
1814年、バージー・ラーオ2世の宰相府とグジャラートガーイクワード家との間で、グジャラートの重要都市アフマダーバードをめぐる争いが起こった。ガーイクワード家はイギリスと友好条約を結び、第二次マラーター戦争にも参加していなかったマラーター諸侯である。そして、その調停はイギリスによって執り行われることとなった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.282〕。
だが、1815年7月14日にガーイクワード家の派遣された使節ガンガーダル・シャーストリーを、バージー・ラーオ2世の家臣トリンバクジー・デングルが殺害してしまう〔〔Princely States of India A-J 〕。暗殺したその家臣はイギリスによって逮捕され、ボンベイに投獄された。
しかし、1816年9月にこの家臣は脱獄した。バージー・ラーオ2世は彼に資金を援助し、シンディア家の当主ダウラト・ラーオ・シンディアとホールカル家のマルハール・ラーオ・ホールカル2世に対して、挙兵してイギリスに共同で立ち向かうこと提案した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第三次マラーター戦争」の詳細全文を読む




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