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旧制第三高等学校(きゅうせいだいさんこうとうがっこう)は、京都市および岡山市に所在した旧制高等学校。略称は「三高」。現在の京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身である。1894年に第三高等中学校(1886年設立)を母体として発足し、初代校長は折田彦市。 三高の淵源は、1869年に大阪で設立された舎密局に求められる。第三高等中学校時代の1889年に京都に移転した。東京の第一高等学校(一高)が「向陵」を称したのに対し、神楽岡(吉田山)の麓にあることから「神陵」を称した。また、一高が「自治」を標榜したのに対し、三高は「自由」を掲げた。 == 沿革 == === 前史 === 第三高等学校に至る教育機関の起源は、明治2年5月1日(新暦:1869年6月10日)に大阪で設置された「舎密局」(せいみきょく)に求められる。のちに三高の歴史は1869年を起点に綴られ(1950年の廃止までを記した『神陵史』には「第三高等学校八十年史」と副題が付けられている)、三高の創立紀念祭は5月1日に開かれることとなった。 舎密局はその名(「舎密」は(化学)に漢字をあてたもの)が示す通り、理化学を中心とする理科教育を目指す機関であった。学校の名称はその後、「化学所」「理学所」「開成所」と変遷している。 1872年(明治5年)8月、学制公布により開成所が廃され、「第四大学区第一番中学」が置かれた。1873年(明治6年)には、官立外国語学校「開明学校」として転換され、以後「大阪外国語学校」を経て「大阪英語学校」(1874年 - 1879年)と名称が改められた。 1879年(明治12年)「大阪専門学校」として改組。5月に折田彦市が大阪専門学校に校長として赴任する。以後、折田は中断を挟みつつ30年間にわたり、この学校の校長を務めることになる。 この当時、中等教育と高等教育の制度的接続は未整備であり、「大阪専門学校」には専門教育の課程(本科)と上級学校進学のための予備教育課程(予科)の双方が置かれていた。折田は本科の医学部拡張を計画したが、1880年(明治13年)には文部省の方針転換により、予科を主体とする官立中学校「大阪中学校」となった。大阪中学校は最初で唯一の官立中学校であり、カリキュラムはその後の中等教育の在り方の影響を及ぼした。 折田は中学校を大学に直接接続する学校として整備する一方、大阪中学校を拡張・改組して大学相当の教育機関(カレッジ)に発展させることを構想していた。1885年(明治18年)7月、大阪中学校は「大学分校」と改称された。同年12月、折田は文部省に赴任し、中島永元が大学分校校長となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第三高等学校 (旧制)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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