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第九十一号哨戒特務艇〔本来の艇名表記は第九十一號哨戒特務艇。〕(だいきゅうじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の39番艇〔本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は36番艇、これら3隻を含めると通算で39番艇となる。〕。 ==艇歴== マル戦計画の特務艇、第2121号艦型の91番艇、仮称艦名第2211号艦として計画。1944年11月5日、第九十一号哨戒特務艇と命名されて第一号型哨戒特務艇の36番艇に定められ、本籍を舞鶴鎮守府と仮定。1945年4月2日、市川造船所で進水。5月25日、損傷のため特設敷設艇高千穂丸に曳航されて鳥羽へ回航〔伊勢防備隊戦時日誌(昭和20年5月1日-31日)。損傷事由は記載が無いため不明。〕。 終戦時未成。8月17日、工事中止が発令され船体工程95%で工事中止〔〔世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p. 114では「20年5月10日横須賀工廠へ引き渡し、兵装工事中終戦」とあるが、宇治山田から横須賀へ回航された記録が無く、1947年2月1日時点で宇治山田市大湊町に所在して大阪地方復員局管下となっており、戦後横須賀から宇治山田へ回航された記録も存在しない。また福井静夫『昭和軍艦概史III』p. 66でも所在は「市川(宇治山田)」としている。〕。戦後は市川造船所で繋留〔。 1947年2月1日、行動不能艦艇(特)に定められる。11月22日、在東京アメリカ極東海軍司令部から、本艇の漁船への改造許可が出された。その後の消息は詳らかではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第九十一号哨戒特務艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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