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第二十二航空隊〔内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号付与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。〕(だい22こうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。水上偵察機からなる偵察部隊として編制され、日華事変序盤に華中方面で偵察・臨検・爆撃に従事した。なお、二十二空は神川丸の就役とともに飛行隊に編入された。神川丸は昭和14年度に母艦任務からはずされ、艦載機は水上基地に移されて「第十六航空隊(初代)」を名乗った。本稿では初代十六空も述べる。 ==第二十二航空隊== ===沿革=== 昭和12年7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中の武力衝突が始まるやいなや、海軍は事件からわずか4日後の11日に6個航空隊の大陸派遣を決定した。戦略爆撃を担当する第一連合航空隊は木更津海軍航空隊と鹿屋海軍航空隊からなり、制空を担当する2個航空隊と偵察を担当する2個航空隊は第二連合航空隊を編制した。二十二空は二連空の偵察部隊として佐世保海軍航空隊から6機を選抜して編制し、華中方面に投入された。 *昭和12年(1937年) :7月11日 佐世保飛行場で臨時編制。第二連合航空隊に編入(水上偵察機6)。 :7月28日 第三艦隊附属に編入。 当面の間、給油艦「鶴見」による補給支援を実施。 :8月11日 「鶴見」に機体を搭載。要員も同乗し佐世保を出航。13日、馬鞍山諸島泗礁山泊地に到着。 :8月16日 上海防空のため全機初出撃。 以後、泗礁山泊地を拠点に上海の偵察・哨戒・船舶管制に従事。 :9月16日 二連空の南京空襲開始。揚子江下流域の哨戒に従事。 :9月18日 徴用船「神川丸」、特設水上機母艦への改装完了。 :10月5日 「神川丸」、空船で泗礁山泊地に到着。二十二空を神川丸飛行隊に編入することとする。 :10月9日 泗礁山泊地にて神川丸への収容が完了。二十二空を解散し、神川丸艦長隷下の飛行隊に改編。 「神川丸」は第三航空船体に編入され、飛行隊は二十二空による二連空南京空襲後方支援任務を継続した。年が明けると華南に移り、他の水上機母艦と合同で華南方面の封鎖や内陸爆撃に飛行隊を運用した。13年春には陸海全戦力を投入した漢口攻略作戦に転用され、前路哨戒を担当している。漢口攻略が目前に迫った13年秋に広東攻略に向けた事前偵察・陸軍飛行隊の協力に従事し、昭和13年12月15日をもって航空機運搬艦に転用され、第一線から退いた。この転属のたびに佐世保や高雄に帰港し、機体・要員を交代させつつ大陸の航空任務を継続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二十二航空隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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