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第二早稲田高等学院 : ミニ英和和英辞書
第二早稲田高等学院[だいに]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
: [に]
  1. (num) two 
: [はや]
 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time 
早稲 : [わせ]
 【名詞】 1. early ripening rice 
: [いね]
 【名詞】 1. rice-plant 
稲田 : [いなだ]
 【名詞】 1. paddy field 2. rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学院 : [がくいん]
 【名詞】 1. institute 2. academy 

第二早稲田高等学院 ( リダイレクト:早稲田大学高等学院・中学部 ) : ウィキペディア日本語版
早稲田大学高等学院・中学部[わせだだいがくこうとうがくいん ちゅうがくぶ]

早稲田大学高等学院・中学部(わせだだいがくこうとうがくいん・ちゅうがくぶ、英名: Waseda University Senior and Junior High School)は、東京都練馬区上石神井三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子高等学校中学校併設混合型中高一貫校)。前身は、1899年開設の東京専門学校予科である。設置者は学校法人早稲田大学。略称は「早大学院」「学院」「早高院」など〔現在はあまり早高院とは呼ばれず、早大学院と呼ばれることがほとんどである。戦前の文書に「早高」という語が散見されるが、これは当時の学院を指す略称である(例:「○○中学4年修了で第一早高に進学」など)。現在使用される「早高」は、系属校である早稲田高等学校(旧制時代の略称は「早中」)を意味することが多いので、解釈には注意を要する。〕。高等学院では、生徒達は「学院生」と呼ばれ、正式な書類や掲示など様々な場面でもこの通称が使われている。
本項では1920年から1949年まで存在していた旧制早稲田大学早稲田高等学院(きゅうせいわせだだいがくわせだこうとうがくいん)についても述べる。
== 概要 ==

=== 成り立ち ===
早稲田大学直属の附属校として設置された最初の学校であり、後から設立された早稲田大学本庄高等学院1982年設立)と併せても2校のみである。一条校でありながら、「学校」ではなく「学院」を称する珍しい機関である。
設立の源流は、早稲田大学の前身東京専門学校の時代に置かれた予科にまで遡る。最初に置かれていた予科は、本科入学希望者への1年の予備教育であり(1883年 - 1886年)、2年後新規に設置された予科は高等小学校卒業者を対象に募集したが、折悪く大隈重信爆弾テロに遭うなどの諸事情で学校の運営に支障が出たことで、学校再建策の一環で廃止されている(1888年 - 1891年)。1899年に誕生した、中等学校卒業者を対象とする高等予科をもって、現在の高等学院の前身とみることができよう。1902年には東京専門学校が「早稲田大学」に改称、1908年には理工科(現・理工学部)設置と共に、理科の高等予科も開かれた。
1920年、早稲田大学の大学令による大学昇格に伴い、高等予科も大学予科としての内容の充実が図られ、「早稲田大学早稲田高等学院」と改められた〔一部の文献・資料で高等学院を旧制高等学校の一つに数えるものがあるが、誤りである。カリキュラムは高等学校に準拠しているが、高等学院は大学令第12条に基づいて設置された予科である。〕(現在の早稲田大学戸山キャンパス内)。1922年より中学校4年修了者対象の第一高等学院・中学校卒業者対象の第二高等学院(大学構内)の2校体制を学制改革まで維持した。戦前期、早稲田大学の学部に入学するには、中等教育終了後、第一・第二いずれかの高等学院で予備教育を受ける必要があった〔例外的に、併設の早稲田大学専門部高等師範部高等学校専門学校などの卒業者、他大学予科修了生、および特別に入学を認められた者が学部に編入することもあったが、当時早大を含めたいずれの旧制私立大学も、学部生は予科修了生をそのまま進学させることで確保していた。〕。
学制改革で旧制から新制に転換する際、旧制高等学校のように新制大学教養部や各学部に再編されるのではなく、従来の実績を踏まえながら、大学の中核となる学生を育成する附属の高等学校として生まれ変わり、現在に続いている。1949年、新制早稲田大学附属早稲田高等学院が発足、1950年早稲田大学高等学院に改称。1956年上石神井に移転。2010年、中学部を新設開校。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「早稲田大学高等学院・中学部」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Waseda University Senior High School 」があります。




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