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イリュリア戦争(イリュリアせんそう、、)は、紀元前229年から紀元前168年の間に3度に渡って行われた、共和政ローマとイリュリア人(族)との間の戦いのこと。 == 第一次イリュリア戦争 == 第一次イリュリア戦争は紀元前229年〔Wilkes, J. J. The Illyrians, 1992, p. 120, ISBN 0-631-19807-5, Page 160, "The Roman invasion of Illyria in 229 bc appears to have caught Teuta and the Illyrians completely off guard. As soon as the weather permitted, the queen had ordered south a naval expedition..."〕から紀元前228年の間に行われた戦いである。第一次ポエニ戦争の後、アドリア海を挟んだ交易が活発になったローマにとって、女王テウタの下で勢力を付けたイリュリア王国〔Wilkes, J. J. The Illyrians, 1992, p. 120, ISBN 0-631-19807-5., Page 177, "... who appears to have ruled after 168 BC at Queen Teuta's old stronghold Rhizon (Risan). His silver issues are rare, but bronze coins, without the royal title, occur on Hvar, both ..."〕の海賊行為は切実な問題であった。共和政ローマはイリュリア王国に使節を送り海賊行為を取り締まるよう要求したが、逆に女王の命により〔Zock, 99.〕大使が暗殺されてしまう。また、ローマの保護下にあるイタリア人の商船〔が攻撃を受けるに至り、共和政ローマは2名の〔淑徳大学 宮嵜麻子 「ローマ共和政における政治問題としての海賊 」〕執政官ルキウス・ポストゥミウス・アルビヌスとグナエウス・フルウィウス・ ケントゥマルスが率いるローマ艦隊を差し向け、第一次イリュリア戦争が開始された。ローマ軍はアドリア海沿岸のギリシア人〔早稲田大学 原田俊彦「」“220年代初頭に初のギリシアの地での戦いすなわち第1次イリュリア戦争が勃発する。”〕植民都市エピダルム、アポロニア、コルキラ、ファロス島などからイリュリア人を追い払い、ローマの保護領とするとともにを新たなイリュリア王国の王に据えた〔Wilkes, J. J. The Illyrians, 1992, p. 120, ISBN 0-631-19807-5, page 161, "... Gulf of Kotor. The Romans decided that enough had been achieved and hostilities ceased. The consuls handed over Illyria to Demetrius and withdrew the fleet and army to Epidamnus, ..."〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イリュリア戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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