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第二次バルカン戦争 : ミニ英和和英辞書
第二次バルカン戦争[だいにじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
第二 : [だいに]
 (n) second
第二次 : [だいにじ]
 (n) the second ..
: [に]
  1. (num) two 
二次 : [にじ]
 【名詞】 1. secondary 2. subordinate 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

第二次バルカン戦争 ( リダイレクト:バルカン戦争#第二次バルカン戦争(1913年6月-1913年8月) ) : ウィキペディア日本語版
バルカン戦争[ばるかんせんそう]

バルカン戦争(バルカンせんそう)は、1912年から1913年にかけてヨーロッパの東南部で発生した戦争バルカン同盟諸国(ギリシャブルガリアモンテネグロセルビア)と衰退しつつあるオスマン帝国との間で発生した第一次バルカン戦争(1912年10月-1913年5月)と、その戦後処理においてブルガリアと、ギリシャ・セルビアの対立から発生した第二次バルカン戦争:en:Second Balkan War、1913年6月-1913年8月)からなる。
==第一次バルカン戦争(1912年10月-1913年5月) ==


1908年以降の青年トルコ人革命以来オスマン帝国は、「汎トルコ主義」に基づき「トルコ化」を推進した。この政策はバルカン半島の諸民族から激しい反発を生む一方、すでに独立を達成しているギリシャ、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアの各国はこの地域での影響力拡大を虎視眈々と狙っていた。また「汎スラヴ主義」の大義のもと「南下政策」を展開するロシア帝国もこれら各国への支援に積極的であった。
1911年アルバニアの自治要求がオスマン帝国で始まると、それまでマケドニア問題で対立していたセルビアとブルガリアがロシアの仲介で同盟を結ぶ。これを受けてブルガリアはギリシャと同盟し、セルビアもモンテネグロと同盟を結んだ。この結果「バルカン同盟」がロシアの後ろ盾で結成され、1912年の10月には各国がオスマン帝国に相次いで宣戦を布告した。
オスマン帝国は慌ててイタリアと講和して伊土戦争を終わらせたが、バルカン同盟軍を止めることはできず、ブルガリアはエディルネ東近郊まで進軍しイスタンブルに40kmまで迫った。セルビアはマケドニアに侵攻しスコピエを抜き、アルバニアからアドリア海まで到達した。ギリシャはイピロスに侵攻しこれを確保した後、テッサロニキトルコ語でセラーニク、ブルガリア語ではソルン)を手中に収めた。同じくテッサロニキを目指したブルガリアとは数時間の差であったという。
これら各国の快進撃は1912年の12月に入ると一転して膠着状態に陥り、12月には休戦。ロンドン講和会議が始まり、翌年4月にはモンテネグロ以外の各国は停戦する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バルカン戦争」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Balkan Wars 」があります。




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