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第二次マイソール戦争(だいにじマイソールせんそう、英語:Second Anglo-Mysore War, カンナダ語:ಎರಡನೆಯ ಮೈಸೂರು ಯುದ್ಧ, タミル語:இரண்டாவது ஆங்கிலேய மைசூர் போர்)は、1780年から1784年にかけて、イギリス東インド会社とマイソール王国との間で南インドにおいて行われた戦争。 ==戦争に至る経緯== 第一次マイソール戦争後、マイソール王国とのイギリスとの間にはこれといった争いは起こっておらず、マドラス条約に基づく平和が保たれていた。この間、マイソール王国の支配者ハイダル・アリーは国力の増強に努め、次の戦争の機会を窺っていた。 南インドには英仏間のアメリカ独立戦争の余波が伝わり、1778年にはイギリスがフランスの拠点ポンディシェリーを包囲した(ポンディシェリー包囲戦)ほか、 1779年にイギリスがフランスからケーララ地方の都市マーヒを奪った。軍事的にも重要だったこの地がイギリスに奪われたことで、南インド]におけるイギリスの脅威が増し、マイソール王国との対立が再燃した〔Bowring, p.84〕。 一方、マラーター王国を中心としたマラーター同盟は戦争後、ナーナー・ファドナヴィースとラグナート・ラーオとの間で争いが起こり、イギリスが後者に加担して第一次マラーター戦争が勃発した。この戦争で不利になったナーナー・ファドナヴィースは、1780年2月7日にマイソールのハイダル・アリーと反英で同盟するところとなった〔辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.42〕。 これにより、マイソール王国、マラーター王国、ニザーム王国との間に三者同盟が成立し、ハイダル・アリーはイギリスとの対決姿勢を見せた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次マイソール戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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