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日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(昭和12年、民国紀元26年)から1945年まで、大日本帝国と中華民国の間で行われた戦争である。大日本帝国政府は、勃発当時は支那事変としたが〔、1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い支那事変から対英米戦までを大東亜戦争とした〔。 中華民国(や中華人民共和国)側は、抗日戦争と呼称している〔平凡社『世界大百科事典』 (2007年版、改訂新版) 9巻、p.574 「抗日戦争」の項目より〕。 == 呼称 == 大日本帝国側では、紛争が勃発した当初は北支事変としていたが、1937年9月の第1次近衛内閣の閣議決定で支那事変を正式の呼称とした。1941年12月9日に蒋介石の重慶政府が日本に宣戦布告し、事変が戦争にエスカレートしたことを受け、東條内閣は10日の閣議で大東亜戦争の一部に含めることを決定した。また、日華事変、日支事変との表記も見られる。 戦争でなく事変と称されたのは、盧溝橋事件後の本格的な戦闘が行われても、1941年12月に太平洋戦争が勃発するまで両国は宣戦布告をおこなわなかったからである。これは「大日本帝国と中華民国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの4年間双方が望んだからで、宣戦布告を行わなかった主な理由はアメリカの中立法の発動による経済制裁を避けたかったからである。そして大日本帝国側は事態の早期収拾も狙っていた。 中華民国側は物資輸入に問題が生じることを懸念していた。 現在の中華民国での呼称は中国抗日戦争もしくは八年抗戦である〔中華民国政府は八年抗戰・中日戰爭など、日中戦争終結後に設立された中華人民共和国政府は中国人民抗日战争などと表記する。〕。英語圏では、1894年〜1895年の日清戦争を「Sino-Japanese War of 1894-95」、「Sino-Japanese War of 1894-1895」、「First Sino-Japanese War ("第一次中国日本戦争")」などと、1937年〜1945年の日中戦争を「Sino-Japanese War of 1937-45」、「Sino-Japanese War of 1937-1945」、「Second Sino-Japanese War ("第二次中国日本戦争")」などと呼称する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日中戦争」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Second Sino-Japanese War 」があります。 スポンサード リンク
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