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第二段作戦(だいにだんさくせん)は、太平洋戦争における日本軍の南方作戦(第一段作戦)に続く攻略作戦である。南方作戦で獲得した占領地の防備のために米豪の連絡遮断、早期終戦のためにハワイ占領を目的とした。 == 経緯 == === 立案 === 1941年12月ハワイ空襲、北部マレー半島上陸、比島航空撃滅戦をもって開始された南方作戦は、予想以上に順調に進展し、1942年3月9日蘭印軍の降伏によって概成した。予期以上に進展したので、1942年1月には、ビルマ、アンダマン諸島、ポートモレスビーなどの攻略を発令し、戦略態勢の強化を企図できるようになった。そのため、第二段作戦の計画を速やかに策定しなければならなかった〔戦史叢書77大本営海軍部・聯合艦隊(3)昭和十八年二月まで1頁〕。 1942年4月1日、連合艦隊司令部で黒島亀人首席参謀と渡辺安次参謀を中心に連合艦隊長官山本五十六の望むハワイ攻略をにらんだミッドウェー島攻略作戦が独自に作成され、早く認めさせるため大本営の望むFS作戦を組み入れてまとめられた。連戦連勝の驕りから成功を前提にスケジュールが組まれ、敵勢力を事前に調べることもしなかった。また航空関係者が不在のまま立案が進められた。FS作戦を進めたい軍令部作戦課はこれに反対したが、渡辺が協議しFS作戦に修正を加えて合意した〔千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫21-31頁〕。軍令部は米豪遮断を目的とするフィジー方面の攻略を主張し、連合艦隊は米を早急に戦意喪失させるためにハワイ攻略を主張した。連合艦隊が軍令部に歩み寄って、ニューカレドニア、フィジーは攻略確保、遠方のサモアは攻略破壊後に引き上げることを認めた〔戦史叢書43ミッドウェー海戦45頁〕。軍令部はこれにアリューシャン攻略作戦を同時に行う案を加えた〔戦史叢書43ミッドウェー海戦46頁〕。 計画は以下の通り。1942年5月、東部ニューギニアのポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)。6月、ミッドウェー攻略作戦(MI作戦)、アリューシャン攻略作戦(AL作戦)。7月、フィジーおよびサモア攻略作戦(FS作戦)。 連合艦隊は10月頃にハワイ攻略を希望していたが、第二段作戦には「すみやかにインド洋にある英艦隊を索めてこれを撃滅する」と記載されている。連合艦隊参謀渡辺安次は、東で主力の機動部隊がアメリカと対峙するため、西に回るのは無理があると指摘している。これに関して軍令部作戦参謀佐薙毅は、3月には第二段作戦は概定しており、決定直前にミッドウェー作戦、アリューシャン作戦が加えられたためと語っている〔戦史叢書43ミッドウェー海戦52-53頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二段作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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