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東京都立第五福竜丸展示館(とうきょうとりつだいごふくりゅうまるてんじかん)は、東京都江東区の夢の島公園内にある第五福竜丸を主体とした展示施設である。 == 開館までの沿革 == 1954年(昭和29年)のビキニ事件の後、第五福竜丸の処遇についてアメリカ側は放射能除去後、船体を沈めて廃棄するよう主張したが、日本側は今後の資料として保存を主張、結局当時の文部省が船体を買い上げることで決着した。東京都港区の東京水産大学で約2年の間残留放射能の検査が行われた。安全が確認された後、三重県伊勢市大湊町の強力造船所(現:株式会社ゴーリキ)〔第五福竜丸の航跡をたどる『廃船』を観る会 6月10日 - 東京都立第五福竜丸展示館〕で改造が施された。甲板は張り替えられ、魚倉は大部分が学習室となり、船体は白く塗り直され、こうして第五福竜丸は東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として第二の道を歩むこととなった。約10年の間、学生の航海実習に使用された後、1967年(昭和42年)に廃船となった。その後、いくつかのスクラップ業者などを経て、夢の島に打ち棄てられた。このことが報道されると、地元江東区民の間から保存の声が上がった。やがて保存の気運は高まり、地元有志が船体を30万円で買い取り、日本各地で保存のための募金や署名活動が行われた。 1969年(昭和44年)、「第五福竜丸保存のよびかけ」が提出されるとともに保存委員会が発足、美濃部亮吉をはじめ各界の著名人が名を連ね、保存運動は広がっていった。その間に船名を「第五福竜丸」に戻す作業が行われるとともに、船体を美しくする集いや写生会、凧上げ大会、俳句会などが催された。 1973年(昭和48年)、船体の保存・管理を目的として財団法人第五福竜丸平和協会が設立された。船体は財団から東京都へ寄贈され、1976年(昭和51年)6月10日に原子爆弾・水素爆弾による惨事が二度と引き起こされることのないことを願いとして、当館は開館した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京都立第五福竜丸展示館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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