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横浜海軍航空隊(よこはまかいぐんこうくうたい)および1942年11月1日より改称した第八〇一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。海軍初の飛行艇部隊として、外洋偵察・哨戒行動に従事した。 == 沿革 == === 横浜空 === 建設に手間取る陸上飛行場の代替措置として、内南洋諸島の偵察活動を円滑に進めるため、飛行艇部隊の設立をマル2計画に盛り込んだ。初めての飛行艇部隊として1936年10月1日、横浜市磯子区(現在は金沢区)根岸海岸に横浜海軍航空隊を開いた。飛行艇12機。横須賀鎮守府所属。同時に基地には大日本航空所属の南洋航空路用飛行艇も間借りした。 1939年、11月15日、第四艦隊附属、内南洋哨戒に従事。1940年11月15日、第四連合航空隊(連合艦隊直率)が新編され、横浜空も編入され、飛行艇16機に増強、対艦雷撃訓練開始。1941年1月15日、四連空は第二十四航空戦隊に改称し、第四艦隊に移籍。 1941年11月28日、開戦に備えヤルート環礁イミエジ基地に進出、飛行艇24機。1941年12月、太平洋戦争勃発。マーシャル諸島外縁の哨戒活動に従事。ウェーク島・マキン環礁に一部派遣。1942年1月8日、相次ぐ対艦雷撃の失敗のため、以後の飛行艇雷撃行動を凍結。2月1日、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲で、イミエジ基地から捜索に出た1機が未帰還、マキン派遣隊の2機が地上撃破。2月10日、本隊はラバウルに進出。3月4日2機で第1次K作戦決行。 1942年4月1日、第25航空戦隊が新編される。25航戦は編制上第11航空艦隊所属だが、連合艦隊は軍隊区分で南洋部隊に配属させた。開戦以来南洋部隊基地航空隊として南洋群島、南東の航空作戦に任じてきた24航戦に代わり、25航戦がラバウル方面となり西方空襲部隊任務を引き継いだ〔戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 145頁〕。横浜空は台南空、四空とともに25航戦となった。定数は大艇12(補用4)、水上戦闘機9(補用3)〔戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146頁〕。二式水上戦闘機を装備。全機ショートランド島に進出。マーシャル諸島に新編した第十四航空隊を置くため、8機を抽出残留。飛行艇16機でソロモン諸島に進出。以後、ツラギ島を拠点にソロモン諸島周辺で哨戒・偵察活動に従事。 1942年8月7日、ツラギ島に敵海兵隊上陸。全機駐機場で破壊、宮崎重敏司令以下総員玉砕。1942年10月1日、横浜で再編(飛行艇16機)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横浜海軍航空隊」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yokohama Air Group 」があります。 スポンサード リンク
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