|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 百 : [ひゃく] 1. (num) 100 2. hundred ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 航空 : [こうくう] 【名詞】 1. aviation 2. flying ・ 空 : [そら] 【名詞】 1. sky 2. the heavens ・ 空戦 : [くうせん] 【名詞】 1. (abbr) air battle 2. dogfight ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦隊 : [せんたい] (n) squadron ・ 隊 : [たい] 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
第百一航空戦隊(だい101こうくうせんたい)とは、日本海軍の輸送機部隊。 ==第百一航空戦隊発足までの沿革== 航空機の輸送や航空用需品の空輸は、1935年(昭和10年)を過ぎたころから日本海軍でも考えられるようになっていた。海軍は1937年(昭和12年)の予算要求で初めて「輸送機」の項目を計上し、九七式飛行艇の輸送機型を2機試作した。量産化された九七式輸送飛行艇は日華事変にも一部使用した。翌1938年(昭和13年)には九六式陸上攻撃機の輸送機型の製造とともに、水陸両用の十三試小型輸送機の試作と陸上用のDC-3購入・製造を開始した。十三試小型輸送機は最終的に不採用となったが、国産化に成功したDC-3は零式輸送機として採用された。昭和14年度計画では陸上・水上合わせて35機の製造予算が計上され、海軍航空技術廠・鎮守府・航空隊に配属された。 太平洋戦争中は各航空隊の空輸に使用されたほか、1942年(昭和17年)1月11日に実施されたメナドへの落下傘降下作戦では、横須賀鎮守府第一特別陸戦隊を横須賀鎮守府所属の零式輸送機で輸送した。航空技術廠を擁する横須賀鎮守府の輸送機隊は、外地と本土を結ぶ輸送路で輸送任務に従事した。また、本土の航空軍需工場や航空隊との連絡輸送にも従事した。1943年(昭和18年)5月1日、第一航空輸送隊に発展し、横須賀鎮守府附属となった。第一航空輸送隊は2ヵ月後の昭和18年7月1日に第一〇〇一海軍航空隊に再編された。百一航戦は一〇〇一空を核として、1944年(昭和19年)9月15日に編制された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第百一航空戦隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|