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笹原 辰太郎(ささはら たつたろう、1861年12月11日(文久1年11月10日) - 1929年(昭和4年)7月21日)は、日本の警察官、実業家。愛知郡長退官後に名古屋市東郊耕地整理組合長ほか複数の土地整理組合で幹部を務め、名古屋における土地整理事業の先駆者に位置づけられる人物である。石川電気鉄道社長。 ==生涯== ===経歴=== 会津藩藩士笹原八百吉の長男として若松栄町に生まれる〔『福島県誌上県人会』237頁〕〔*>笹原の同郷人で、笹原死去時の名古屋市土地部庶務課長によれば、笹原家は馬術師範を務める家であった(「笹原辰太郎翁追悼号」54頁)。幕末の会津藩士には御普請奉行兼御厩別当を務めた馬術師範笹原弥五郎(130石)、御厩別当笹原與兵衛(130石)がいる(会津若松市『幕末会津藩往復文書 下巻』328頁、勉強堂書店『慶應年間会津藩士人名録』40頁)。〕。福島師範学校の前身校に学んで教職に就いたのち埼玉県で巡査となり、山梨県警察部警務課長を経て、静岡県警察署長まで昇進した。1904年(明治37年)に辞職後、賀茂郡〔『官報6696号 』画像6枚目〕、南設楽郡で郡長を務める。1913年(大正2年)3月に愛知郡郡長を辞任し、名古屋市東郊耕地整理組合長、八事耕地整理組合、港東土地区画整理事業組合及び音聞山土地区画整理事業組合の各副長として当時の名古屋市近郊の土地整理事業を推進した。同年6月には石川電気鉄道の設立発起人の一人となり、翌年の同社発足に伴い社長に就任〔「金沢市郊外鉄道敷設と地域社会』220頁〕。政治活動も行い、1925年(大正14年)以降名古屋市会議員である。衆議院議員選挙、同補欠選挙に挑んだが落選した。会津会会員〔「会津会会員名簿」(大正8年6月発行)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笹原辰太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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