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筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)は、1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍し、2006年に活動を本格再開した日本のロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-Show」(初期は「KIN-SHOW」)と記す。 == 経歴 == === 結成〜インディーズ期 === 1979年に当時中学生だった大槻ケンヂと内田雄一郎が組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ。当時の大槻のあだ名より命名)が始まり。大槻は健康青竹踏みを打ち鳴らし、内田はエレクトーンを掻き鳴らした。 ドンズが解散した後の1982年、二人は高校進学を期に再びバンド「筋肉少年少女隊」を結成〔。大槻は「JAGATARA」のようなファンクバンドを志向していたものの、練習スタジオでファンクが上手く説明できず、結局「ディープ・パープル」の様な曲調になったそうである(このやりとりによって生まれたのが代表曲のひとつ「釈迦」)〔『裸の王様』ライナー内での田口トモロヲとの対談より。大槻のエッセイでも複数回言及されている。〕。4月6日のライブハウス新宿JAM「伝染病解散ライブ」にてライブデビュー。 1984年、バンド名を「筋肉少女帯」に改め、ナゴムレコードよりインディーズデビュー。とはいえ、まだまだこの頃のライブでは大槻がうどん粉で顔面白塗りの上、裸体に包帯を幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時は学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」(大槻談)であった。 同じ頃、後に第22期筋肉少女帯メンバーとなる5人がそれぞれのバンド(大槻・内田は筋少、本城は筋少・有頂天・エッグレイヤー、太田はYTJ、橘高はSLEAZY LUSTER)でYAMAHAのコンテストに出場。たびたび顔を合わせる旧知の仲だった。筋少はパフォーマンス賞や審査員特別賞を受賞、橘高、太田はそれぞれベストギタリスト賞、ベストドラマー賞を取るなど、対照的な成績を残している。 1985年に三柴江戸蔵が参加(当初はサポート。1986年3月正式加入)。 1987年、ナゴムレコードより発売の自主制作EP『高木ブー伝説』が話題を呼ぶ。冗談画報、11PMなどに出演。その際演奏した高木ブー伝説、ドリフターといった楽曲の歌詞が問題となったりもした。そのためドリフターズ所属の事務所を名乗る者から苦情の電話が寄せられ、『高木ブー伝説』は結局自主回収という形で販売中止となる。しかし、その電話は後に悪戯と発覚する。大槻によれば、この一件で筋肉少女帯は一時解散の危機に立たされたが、他ならぬ高木ブーの擁護によって事なきを得たという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筋肉少女帯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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