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筑後国分寺跡(ちくごこくぶんじあと)は、福岡県久留米市にある寺院跡。現在は久留米市指定史跡に指定されている。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、筑後国国分寺の寺院跡にあたる。本項では筑後国分尼寺跡についても解説する。現寺院については国分寺 (久留米市)を参照。 == 概要 == 久留米市中心部にある寺院跡で、日吉神社境内に僧寺跡が確認され、その北約200メートルの「字西村」に尼寺跡が推定されている〔(久留米市)「82 筑後国分寺跡(講堂・塔及び回廊跡)」(p. 135)。〕。両寺跡とも住宅街の中にあり、遺構は失われつつある。 聖武天皇の詔による建立とされるが、創建の記録は残っていない。『続日本紀』には天平勝宝8年(756年)に筑後国を含む26ヶ国の国分寺に対する法具頒布の記事がある〔。『延喜式』では筑後国分寺料は13,394束〔。仁治2年(1241年)の文書によれば、当時には国分僧寺・尼寺ともに有名無実化し、破損の甚だしいことが見える〔。その後は武士の台頭により寺領も失った〔。 その後室町時代から近世初頭にかけての時期に、久留米市宮ノ陣にある天台宗の護国山国分寺()に移ったとされる〔。慶長年間(1596年-1615年)には僧寺跡を横切る形で柳川街道が築かれており、その当時には創建時の位置には存在しなかったものと考えられる〔。 『寛延記』寛延2年(1749年)には、国分寺跡として記載されている〔(久留米市教育委員会)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筑後国分寺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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