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筒井 はじめ(つつい はじめ、1970年12月7日 - )は、日本の芸術家、デザイナー、絵描き。カメラカメン、HAJIMEROCKの名義でタレントや景色の写真集も出版した。東京都葛飾区出身。『TSUTSUIHAJIME×HYOUZAEMON』『TSUTSUI HAJIME×L'HOMOS』『NINITA』のブランドデザイナー。 == 人物 == 1970年(昭和45年)生まれ。東京都葛飾区出身。1983年(昭和58年)世田谷区松原小学校卒業、1986年(昭和61年)世田谷区立梅丘中学校卒業。 東京都葛飾区亀有(当時)にて、結婚式場経営の父(筒井弘之助)と、母の長男として生まれ、父は男なら「吾一」女なら「貞子」の名を用意していたが、実姉から反対され、「一(はじめ)」と命名された。「生まれたのは下町だけど、すぐに世田谷区に引っ越しました。」と話している。 芸術方面に長けていた父に影響され、子供絵画コンクールでは多くの受賞。6歳の誕生日プレゼントは一眼レフカメラ。毎月24枚フィルムを一本与えられ、一枚一枚大切に撮影をしていた。中学校時代、家出同然で知人宅を転々とする青春時代を過ごした。16歳の時、父が不治の病に倒れ他界〔。 1990年(当時20歳)、働いて貯めた資金を運用し日本橋茅場町に天ぷら屋をオープンする。400円で天丼を提供したことで商売は安定したが経営に熱が入らず、一切を転売してしまう〔。後に「いくらエビが大好きでも、それだけでは商売は続かない。」と語っている。 20代の大半を国外放浪する。28歳の夏、母が不治の病になり余命宣告を聞かされ帰国。母の看病は一年半続き、その日々で母のために描き続けた花の作風が後の代表作になる。 筒井が経営する都会の森ガーデンで、撮影中だったファッション雑誌『SEDA』のロケを見学して感化され、看板用に用意した100号キャンパスに花を描く。これが絵画を本格的に取り組むきっかけとなる。 田中聖の紹介で、元内閣府官僚である大前孝太郎と出会い、ラブコモンズを結成。「北区花火会」プロデュース、社会貢献をテーマとするラブコモンズメッセージ「大人の皆様へ」発表、子供たちのために何ができるかをテーマとする展覧会「ラブコモンズ展」を上野の森美術館ギャラリーで開催するなど、芸術の可能性と向き合う活動に取り組んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筒井はじめ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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