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筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球指導者、学者。ソウルオリンピック日本代表チームでは主将を務めた。2009年以降に改名して筒井 崇護(つつい たかもり)となり、2011年現在は日本体育大学の教授として運動方法論などに取り組んでいる〔日本体育大学 専任教員紹介 〕。 == 経歴 == 尼崎西高等学校から関西学院大学に進み、4年春の近畿大学リーグ戦で8本塁打を記録〔毎日新聞、1999年12月18日付朝刊、兵庫地方面〕。大学卒業後は住友金属に入り、2年目のからスタメンに定着し、同年の日本選手権では四番・一塁手を任された〔毎日新聞、1998年10月8日付朝刊、P.18〕。 は日本選手権では準決勝で本塁打を放つなど優勝に貢献し、優秀選手として表彰された。また、初の社会人ベストナインにも選出されている。翌の日本選手権では決勝戦で本塁打を放ち、チームが連覇を果たすとともに自身も優秀選手に再び選ばれた。 は左の大砲としてソウルオリンピック代表に選出され、全試合で三番・右翼手として先発出場した〔別冊宝島、1545号、P.70〕。計5安打を放つも、準決勝・決勝ではノーヒットに終わる。代表では最年長の選手であり、主将を任されてチームをまとめて銀メダル獲得に貢献した〔別冊宝島、1545号、P.75〕。同年は外野手として社会人ベストナインに選出されている。 は日本生命の補強選手として第61回都市対抗野球大会に出場し、10年連続出場の表彰を受けている。に現役を引退し、翌から日本オリンピック委員会の在外研修制度でアメリカジョージア州のジョージアサザン大学に留学した。同大学でスポーツ心理学を聴講しながら野球部の練習を見学し、メジャーリーグの春季キャンプも視察している〔読売新聞、1993年8月19日付朝刊、P.20〕。アメリカでは選手が自立した人間として扱われる事で自分自身を培っており、それが国際舞台での強さに繋がっていると感じたという〔。 野球日本代表のコーチなどを務めた後、に住友金属の監督に就任。徹底した反復練習を課し〔毎日新聞、1996年11月10日付朝刊、和歌山地方面〕、翌に日本選手権で優勝、翌年も準優勝している。しかしに住友金属工業のリストラの一環として野球部が廃部となり、これにともない監督を退任した〔読売新聞、1999年7月17日付夕刊、P.2〕。 高校野球解説者などを務めた後、に日本体育大学から招聘され、2月1日に野球部の監督に就任。他大学出身者としては初の同大学監督となった〔日体大野球部OB会 〕。秋季の首都大学リーグで12季ぶりの優勝を果たしている〔読売新聞、2004年10月27日付朝刊、P.23〕。同年の明治神宮野球大会ではベスト4に進出。をもって同部の監督を退任し、日本体育大学で教授およびソフトボール部の部長を務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筒井大助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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