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筒美京平[つつみ きょうへい]
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・ 筒 : [つつ] 【名詞】 1. pipe 2. tube ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty ・ 京 : [みやこ, きょう, けい] 【名詞】 1. capital 2. metropolis ・ 平 : [たいら, ひら] 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
筒美京平[つつみ きょうへい]
筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )は、日本の作曲家。本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。2003年、紫綬褒章受章。 == 来歴・人物 == 幼稚園児のころからピアノを始める。青山学院初等部・青山学院中等部・高等部を経て青山学院大学経済学部卒業。大学在学時はジャズに打ち込み、大野雄二とも面識があった。大学卒業後の1963年に日本グラモフォン(後のポリドール・レコード→ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ作曲を始める。のちにすぎやまこういちに師事。1967年から専業作家となる。名前は鼓(つづみ)が平らに響くという意味から「鼓響平」を考えていたが、左右対称文字にするために濁点を省いて「筒美京平」と決めた。 1960年代後半のグループ・サウンズ、その後は歌謡曲、アイドル歌謡曲、J-POPと多数のヒット曲を世に送り出している。1968年12月に発売されたいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、筒美の作曲では自身初のオリコン週間1位を獲得。自身が作曲・編曲で日本レコード大賞を受賞した曲は、1971年、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」第13回日本レコード大賞と、1979年、ジュディ・オングの「魅せられて」第21回日本レコード大賞である。 1971年、1972年、1973年、1975年、1976年、1981年、1982年、1983年、1985年、1987年と10回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げ年間1位を記録。また作曲作品が、1960・1970・1980・1990・2000年代と、5年代連続でチャート1位を獲得。1960・1970・1980・1990・2000・2010年代と、6年代連続でTOP10にチャートインしている。 「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行えるか」をコンセプトに活動している。露出が極端に少なく、曲を発表するペースがあまりにも早かったため、一時期「実在しないのでは?」「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」といった噂がよく流れた。 1997年に筒美作品で構成されたCD-BOX『筒美京平:HITSTORY』が発売された。自身が手がけた楽曲では、「また逢う日まで」「さらば恋人」「木綿のハンカチーフ」が気に入っていることを、2002年のインタビューで語っている〔JASRAC「作家で聴く音楽」 第二回 筒美京平 〕。2006年4月5日に筒美作品で構成されたCD-BOX『THE HIT MAKER -筒美京平の世界-』が、2007年7月15日に『the popular music 〜筒美京平トリビュート〜』が発売された。作曲家のトリビュート・アルバムとしては、日本初となる。 2013年には声優・竹達彩奈のシングル「時空ツアーズ」や、2015年には野口五郎のシングル「再会タイムマシン」を手がけるなど、作曲活動は現在も盛んである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「筒美京平」の詳細全文を読む
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