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箱根土地(はこねとち)は、大正時代から昭和時代戦前にかけて存在した日本の土地会社である。西武グループの中核企業のひとつであった国土計画(コクド)の前身。 軽井沢・千ヶ滝別荘地(長野県軽井沢町)や箱根強羅、芦ノ湖近辺の別荘地分譲、東京・目白の文化村などの郊外住宅地分譲、現在の国立市における大規模宅地開発事業など、戦前期を通じて東京やその周辺で大規模な不動産開発を多数行った。 == 概要 == 箱根土地の設立は1919年(大正8年)4月で、会社所在地は下谷区北稲荷町11〔東京興信所編 『銀行曾社要録第24版』 大正9年発行〕。資本金は500,000円で内払込頭125,000円〔。取締役は山科禮蔵、藤田経孝、杉原柴三郎、監査役は竹内林之助、河浦謙であった〔。 翌1920年(大正9年)2月には「箱根土地株式会社」の設立趣意書が作られ、「二大理由により帝都の附近に於て完全なる大遊園地の必要、理由1に、五大国の一としての日本には今後外国からの客が増える、理由2に、生活力が向上したわが国民の休息の場」とし、完全なる大遊園地の条件として「大規模な設備、汽車自動車人車等の便により数時間で来られる事、風光明媚にして閑雅、地理的変化に鑑み長い滞在にも飽きない、各方面及び地域内の交通の便、四季の眺望、中和な気候、健康に適し病後保養にも効果あり、清涼豊潤な水と温泉、新鮮な山海の食料の供給、名所旧跡。 以上の条件から箱根は絶対無二の良候補地である。足柄下郡宮城野村、元箱根村、箱根町、土肥町に跨り約百五十万坪を取得し、道路を開き温泉を配給、ホテル、貸別荘、倶楽部その他の娯楽場を設置し居住、滞在、遊覧ともに好みによって応じられる設備を用意する開発を行なう〔箱根土地株式会社創立事務所発行 「箱根土地株式会社」 設立趣意書、事業概要、起業並二収支予算書、定款 大正9年2月〕」とうたわれた。 1920年(大正9年)3月25日設立の箱根土地株式会社の事業概要、起債並二収支予算、定款 (大正9年2月)では、「資本金二千万円内四分の一払込の五百万円万円の社債を以て経営にあたる。土地事業は本来確実である上に当社の買収土地は会社成立前ずでに買収価格の数倍または十数倍に騰貴、だから社債の発行は容易である。当社は最も確実有望なる事業であるから全卸発起人賛成人にて株を引受け、公衆募集は全く行なわない」としている。ところが箱根土地株式会社「第一回報告」(大正9年上半期、大正9年5月)では、「ほぼ目的地の土地買収に充て、別に三百三百万円の社債募集」について、9年5月の株主総会にてあらためて決議をしている。 このほかに、1920年(大正9年)4月、中長野県北佐久郡東長倉村(略称軽井沢)所在土地並びに附属財産の買収を契約し、管理経営に着手している。 創設時の役員は当時の著名な財界人や公家の血筋の人物で、1920年(大正9年)3月25日創立時では取締役社長が藤田謙一、取締役に若尾琿八、同 前川太兵衛、監査役永井外吉、1920年(大正9年)4月には取締役に吉村繊之助、監査役に男爵九條良政 (九條は、1920年(大正9年)12月には辞任)である。1921年(大正10年)10月24日から、堤康次郎が専務取締役に、1921年(大正10年)12月30日から、九鬼紋七が監査役にそれぞれ就任している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「箱根土地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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