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箱根山戦争(はこねやませんそう)は、第二次世界大戦後の1950年から1968年にかけて堤康次郎率いる西武グループと、安藤楢六率いる小田急グループ、およびその背後にいる五島慶太の東急グループの間で繰り広げられた箱根の輸送シェア争いの通称〔。巨大グループ同士の衝突が熾烈を極めたため、これに舞台となった箱根山の名を冠して「戦争」と呼ばれ、「箱根山サルカニ合戦」とも揶揄された〔。 作家の獅子文六により「箱根山」の題で小説化されており〔、後に川島雄三によって東宝で映画化された。 == 前史 == === 箱根における交通機関 === 箱根における交通機関は、芦ノ湖において1909年ごろに定期航路が開設されたものが最初とみられている〔。元箱根村の村会議員であった大場金太郎の家は、ハコネダケを使用した製品を作っていたが、大場は1909年に仕入れと出荷を共同で行うべく「篠竹組合」を設立していた〔。ちょうどこの時期に、芦ノ湖を訪れ、舟によって対岸へ渡ったり周遊したいという観光客が増えていた〔ことから、大場は「篠竹組合」の利益金で各戸に舟を持つことを勧めていたのである〔。当初はすべて和船による運航であったが、1917年頃には既にモーターボートが導入されていた〔。この頃には箱根渡船組合と箱根町渡船組合が芦ノ湖の航路を運航しており、互いに観光客を奪い合っていた〔。 1919年6月1日に小田原電気鉄道(当時)が登山電車(鉄道線)を開通させ、富士屋自働車が乗合自動車(路線バス)の運行を開始すると、多くの観光客が訪れるようになった〔。 一方、軽井沢において広大な土地の取得に成功していた堤康次郎は、箱根に着目し、1920年3月に箱根土地(後にコクド、2006年にプリンスホテルに吸収)を設立し、別荘地の分譲などを中心とした観光開発を行なっていた〔。堤康次郎は大場のリーダーシップに着目し〔、大場と手を組む形で1920年4月に、それまで競合していた箱根渡船組合と箱根町渡船組合を合併して箱根遊船を設立した〔。これが、堤康次郎が箱根で最初に手がけた交通機関である〔。1921年12月1日に小田原電気鉄道の鋼索線が開業すると、早雲山まで登山電車とケーブルカーを乗り継ぎ、そこから徒歩で芦ノ湖まで歩いて、湖尻から元箱根まで船で渡る観光客が増加した〔ことを受け、小田原電気鉄道と箱根遊船は提携して1922年5月から「箱根廻遊切符」の発売を開始した〔。 この時点で、堤康次郎は既に箱根において889ha.(ヘクタール)の土地を買収しており〔、その後翌年までに湯河原と箱根町を結ぶ鉄道や〔、強羅から仙石原を経て箱根町に至る電気鉄道の建設を出願している〔が、いずれも着工に至らず、1924年に駿豆鉄道(当時)を買収した〔。また、小田原電気鉄道は堤康次郎の仲介によって〔〔1928年に日本電力に売却され、同年8月13日に箱根登山鉄道として発足した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「箱根山戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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