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篠原 有司男(しのはら うしお、1932年1月17日 -)は、日本の現代美術家。本名:牛男(読みは同じ)。愛称「ギューチャン」。 ==来歴== 東京麹町生まれ。父親は詩人、母親は日本画家だった。千代田区立番町小学校を経て、日本大学第二工業学校に入学。疎開先から東京に戻ると、麻布中学校に入学。在学中は画家の荻太郎に師事する〔篠原有司男オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2008年9月17日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ〕。 1952年、東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事。1957年、同校を中退。1958年、村松画廊で初個展を開催〔『日本美術家事典 2003年度版』(構成執筆・藤森耕英、日本美術家事典社、2003年3月発行)〕。1960年、「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信、赤瀬川原平、荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を新宿ホワイトハウスにて結成。短い活動期間に多くの伝説を残す。日本ではじめて頭を「モヒカン刈り」にして、週刊誌のグラビアで紹介された。 その後も「イミテーション・アート」や「花魁シリーズ」(1965年)などの「悪趣味」で「スキャンダラス」な作品を次々と発表。ボクシンググローブに絵の具をつけてキャンバスを殴りつけながら絵を描く「ボクシング・ペインティング」は有司男の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつもりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。 1969年、ロックフェラー三世基金の奨学金を得て、妻と子供と共に渡米〔篠原有司男オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2009年2月20日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ〕。以後ニューヨーク在住。1972年、段ボールを使ったオートバイの彫刻「モーターサイクル・ブルックリン」などを作り始める〔。1973年3月、現夫人である乃り子(旧姓・島)と出会う〔篠原乃り子オーラル・ヒストリー、池上裕子と富井玲子によるインタヴュー、2010年3月23日 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ〕。ただ、当時の米国ではマイノリティの芸術家はモダンアートの市場からは締め出される構造があり、制作の拠点をニューヨークに置きつつ、発表は日本で行なっていた〔池上裕子「戦後美術を作った人々(4)篠原有司男と妻、乃り子」日本経済新聞(2016年3月23日)2016年12月26日閲覧〕。米国で本格的な再評価がなされるのは90年代以降である。 2007年、第48回毎日芸術賞を受賞。 2008年、ドキュメンタリーDVD『モヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠』(監督・青木兼治)が作られる〔モヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠 ウーファー・アート・ドキュメンタリー〕。 2012年、ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で、初の回顧展が開催された。 2013年1月、篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)がサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞〔キューティー&ボクサー公式サイト 〕。12月21日、同ドキュメンタリーが日本で公開される。29都道府県で順次公開予定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠原有司男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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