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篠原 淺茅(しのはら あさぢ、本名:淺野靜子〔『日本歌劇俳優写真名鑑』藤山宗利著、歌舞雑誌社、1920年、P147〕、1898年(明治31年)10月30日〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P96〕 - 没年不明)は元宝塚少女歌劇団主演娘役クラスの人物である。大阪府大阪市出身〔。特技はソプラノ〔『日本歌劇俳優写真名鑑』藤山宗利著、歌舞雑誌社、1920年、P147〕。妹は宝塚歌劇団10期生の原幹子。 1919年頃には、雲井浪子・高峰妙子・高砂松子らと共に、『寳塚四天王』として人気の中心にいた〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P104〕。 この芸名は小倉百人一首の第39番:参議等の「淺茅生の 小野の篠原 忍ぶれど 餘りて何どか 人の戀しき(あさぢふの をのゝ しのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこひしき)」より命名された。 ==略歴== *1913年(大正2年)11月に宝塚歌劇団2期生として、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に入団。同期生に瀧川末子、人見八重子、吉野雪子がいる。 *1921年(大正10年)、宝塚少女歌劇団を退団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「篠原淺茅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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