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簾舞通行屋(みすまいつうこうや)は、1872年(明治5年)から1884年(明治17年)まで、本願寺道路沿いの簾舞で営まれた官営の旅館で、石狩国札幌郡(現在の札幌市南区簾舞1条2丁目)におかれた。 通行屋の廃止後、建物は黒岩家の住宅になったが〔“市内で最古の木造建築 旧黒岩家を文化財に 市教委 審議会に指定を諮問”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年5月14日)〕、同時に地域の公共利用のためにも使われた。 1986年(昭和61年)4月に明治時代の姿に復元され〔“札幌・旧黒岩家修復オープン”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1986年4月14日)〕、今では簾舞郷土資料館として使われている。 札幌市内に現存する唯一の通行屋であり、「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」として1984年(昭和59年)3月に札幌市指定の有形文化財となっている〔“旧開拓使の簾舞通行屋 有形文化財に 札幌市が指定”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1984年3月29日)〕。 近年は、札幌市の方針で、団体観光客も積極的に受け入れている。 == 歴史 == === 簾舞通行屋 === 前年に開通した(旧)本願寺道路の宿場にするため、開拓使により1872年(明治5年)1月に建てられた。場所は現在の簾舞中学校の付近で、今は国道230号(詳細は註にて後述)が通る箇所とされる。当時の政府の命を受けて屋守となった福岡県出身の黒岩清五郎は、この辺りの最初の日本人定住者として、通行人に宿を提供しつつ周辺の開拓に取り組んだ。当時移住者が増えつつあった平岸村(現在の同市豊平区平岸)以南は、石切り山(現在の、同市南区石山)もまだ開拓されず、江戸時代に発見され明治期には湯治場として有名だった定山渓まで、途中の休息する場所も、当時はここしかなかった。深い原生林に囲まれた幅3m以下の本願寺道路を、20km以上もただ歩くしかないといった地理条件だった。しかし、険しい山岳地帯に繋がるこの街道は、その直後に開通した札幌本道(国道36号の元となった道路)にとってかわられる形で、全体的には本願寺道路の交通量は少なくなり、通行屋は1884年(明治17年)に廃止された。しかし、屋守の黒岩はこの地に留まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「簾舞通行屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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