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籠守勝手神社(こもりかってじんじゃ)は、愛知県一宮市木曽川町(旧葉栗郡木曽川町)にある神社である。旧社格は郷社。 式内社の尾張国葉栗郡「黒田神社」という。籠守勝手神社は黒田神社の古くからの通称であった。正式に籠守勝手神社と改称したのは明治時代初期である。 億計王(仁賢天皇)と弘計王(顕宗天皇)の兄弟が雄略天皇から逃れるさい、ここに宿泊したと伝えられ、これを後世に伝えるために行なわれているのが御駕籠祭(おこもりまつり)である。厄払い、豊年を祈願する祭であり、1500年以上の歴史がある。 かつては、神社に勝手に籠もり心より願をかけると、必ず成就するといわれていた。現在は行なわれていない。 == 概況 == *創建時期は不明。億計王と弘計王の父である市辺押磐皇子が雄略天皇に殺害されたのが安康天皇3年(456年)とされているので、それ以前には創建されていたと推測される。黒田神社が正式名称であったが、このころには籠守勝手神社とも呼ばれていたという。 *古くから重要な神社とされ、称徳天皇、宇多天皇の時代に奉幣の記録がある他、天暦5年(951年)には村上天皇の使いが病気平癒の祈願を行なっている。 *天正10年(1582年)、黒田城城主沢井雄重(織田信雄の家老)により再建される。 *江戸時代は「黒田大明神」「白山神社」と呼ばれていた。1872年(明治5年)に葉栗郡北西部(黒田村、内割田村、外割田村、玉ノ井村、三ツ法寺村、里小牧村、北方村、中島村、曽根村)の郷社になったさい、籠守勝手神社に改称される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「籠守勝手神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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