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米フツ : ミニ英和和英辞書
米フツ[べい ふつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 

米フツ : ウィキペディア日本語版
米フツ[べい ふつ]

米 芾(べい ふつ、皇祐3年(1051年) - 大観元年(1107年)〔生卒年に異説あり。『宋史』に「卒,年四十九。」とある(宋史列伝(米芾))。〕)は、中国北宋末の文学者書家画家収蔵家鑑賞家であり、特に書画専門家として活躍した。
初名は〔黻(ふつ)は、意味も発音も「芾」と同じで、元祐6年(1091年、41歳)以後は「芾」を用いた。〕、元章(げんしょう)、官職によって南宮(なんぐう)、住拠によって海岳(かいがく)と呼ばれ、は襄陽漫仕(じょうようまんし)・海嶽外史(かいがくがいし)・鹿門居士(ろくもんこじ)などがあり、室名を宝晋斎〔宝晋斎(ほうしんさい)とは、晋を宝とするという意味で、当時は顔真卿が主流の中、米芾は晋の王羲之を最上とした(陳 P.7)。王羲之の『王略帖』、謝安の『八月五日帖』、王献之の『十二月帖』の3帖を入手して自ら宝晋斎と号し、晋人の天質自然な風韻を体得して自分の書を完成した(中田(書道史) P.129)。〕といった。子の米友仁に対して大米と呼ぶ。湖北襄陽の人で、後に潤州に居を定めた(現在の江蘇鎮江)。

== 業績 ==

書においては蔡襄蘇軾黄庭堅とともに宋の四大家と称されるが、米芾は4人の中で最も書技に精通しているとの評がある。他の3人はエリート政治家として活躍したが、米芾は書画の分野のみで活躍した専門家であった。彼の題跋は今日でも王羲之や唐人の真跡を研究する上で最も重要な参考資料になっており、その鑑識眼は中国史上最高ともいうべきものである〔比田井 P.238〕。画においては米法山水の創始者として知られ、多くの人に模倣された。また、従来、専門家が行っていた篆刻を作家自ら始めた人物とも目されている(篆刻#宋・元を参照)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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