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仏米同盟条約(ふつべいどうめいじょうやく、アメリカ合衆国では単に同盟条約、、またはフランスとの同盟条約、と呼ばれる)は、アメリカ独立戦争の最中に結ばれたフランスとアメリカ合衆国の間の防衛同盟である。イギリス軍に攻撃された場合に互いの軍事的な支援を無期限に約束した。1778年2月6日、パリのオテル・ド・クリヨンで、フランス国王ルイ16世と、当時のアメリカ合衆国政府を代表する第二次大陸会議の代表団が、仏米友好通商条約と共にこの条約に調印した〔The United States Statutes at Large 〕。この同盟は1800年のモルトフォンテーヌ条約の締結まで続いた。ただし、1798年にアメリカ合衆国議会が条約を無効としており〔A Century of Lawmaking for a New Nation: U.S. Congressional Documents and Debates, 1774–1875 〕、またルイ16世はフランス革命で処刑されていた。 == 背景 == 1776年にアメリカのイギリス領13植民地がイギリスからの独立を宣言したとき、その最も同盟者となりそうな相手は、イギリスと長い間敵対関係にあり、植民地争奪ではライバルであるフランスだった。フランスはフレンチ・インディアン戦争で、イギリスのためにアメリカ大陸にあった領土の大半を失っていた。ヨーロッパにおける列強の力関係を揺るがした七年戦争におけるイギリスの勝利で警告を受けたフランス指導層は、その戦争を終わらせた1763年のパリ条約以来、報復のための戦争を計画していた〔Simms, Brendan. ''Three Victories and a Defeat: The Rise and Fall of the First British Empire''. London, 2007. pp. 502–31〕。フランスの外務大臣ショワズールは、スペインと同盟することでこれが叶うとみなし、フランス・スペイン同盟軍でイギリスを侵略することを想定していた〔Longmate, Norman. ''Island Fortress: The Defense of Great Britain, 1604–1945''. Pimlico, 1991. pp. 183–85〕。ショワズールは1770年に起こった南大西洋のフォークランド危機の時に戦争を始める用意ができていたが、ルイ16世がイギリス海軍の動員に警告を受けて、ショワズールを解任し、取り止めになった。 結果的に、ジョン・アダムズがフランスと将来の独立植民地であるアメリカとの間に通商条約を模索して、その条件を書き始めたが、これでは植民地におけるフランス軍の存在と植民地事情に関わるフランスの権限の見込みを否定していた。1776年9月25日、大陸会議はベンジャミン・フランクリンが率いる使節団に、アダムズが起草した条約をもとにフランスとの条約を求めるよう命令した。アダムズの原稿は後にモデル条約として正式なものになり、フランスとの互恵的貿易関係の樹立を目指したが、フランス政府からの軍事的援助の可能性は否定していた。アメリカの使節団はフランスから直接軍事的支援を求めないよう命令されていたが、フランスとの最恵国待遇の貿易関係を築くよう指示されており、さらに付加的な軍事支援も求めた。さらにスペインの代表団には、スペインが米西同盟を結ぶことを期待して、アメリカがアメリカ大陸におけるスペインの領土を獲得する野望が無いことを確信させるよう奨励された。 アメリカが独立宣言を発し、イギリス軍がボストンを明け渡したという報せがフランスに届くと、当初は同盟に対して積極的だったが、フランスの外務大臣ヴェルジェンヌ伯爵は、イギリス軍がニューヨークでジョージ・ワシントン軍に勝利したという報せを聞くと正式なアメリカとの同盟条約の調印を延期した。ベンジャミン・フランクリンは、フランスにおけるアメリカ側の同調者を盛り上げるために大陸会議が設立した機密通信員会の援助により、またフランス社会での共和主義的単純さのモデルとしての自身の立場を使い、ヴェルジェンヌから秘密の借金と内密の軍事援助を引き出すことに成功したが、フランスがスペインとの同盟を交渉していたので、正式な同盟条約の締結交渉は延期せざるを得なかった。 イギリス軍がサラトガの戦いで敗北し、イギリスからフランクリンに秘密の和平提案が行われているという噂が大きくなると、フランスはこの機会を捉えてスペインとの交渉を放棄し、アメリカとの正式な同盟の検討を始めることにした。ルイ16世から公式の同盟交渉を始める了解を得たことで、アメリカは1778年1月にイギリスの和解提案を拒否し〔PERSPECTIVE on the FRENCH-AMERICAN ALLIANCE 〕、友好通商条約と同盟条約の調印に繋がる交渉を始めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「仏米同盟条約」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Treaty of Alliance (1778) 」があります。 スポンサード リンク
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