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米倉 昌晴(よねくら まさはる)は、武蔵金沢藩の第3代藩主。江戸幕府の若年寄を務めた。六浦藩米倉家6代。 == 経歴 == 享保13年(1728年)4月22日、分家で3000石の旗本である米倉昌倫の次男として生まれる。寛延2年(1749年)に第2代藩主の里矩が子無くして早世したため、その養子となって跡を継いだ。なお、実父昌倫は長田重賢の五男であり、皆川藩主米倉昌尹の次男・昌仲の養子になった。同年5月に徳川家重に御目見し、12月に叙任する。明和元年(1764年)8月に大番頭となり、安永5年(1776年)1月に奏者番、同年4月に日光祭礼奉行、安永6年(1777年)4月に若年寄など、要職を歴任した。しかし天明4年(1784年)4月、同じ若年寄である田沼意知が暗殺されると、罪を得て(理由は不明)連座により謹慎処分となった。同年5月に許されて西の丸御付となる。しかし翌年、病を得て若年寄を辞任しようとしたが、許されずに在職中のまま死去した。享年58。 跡を次男の昌賢が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米倉昌晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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