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米内光政 : ミニ英和和英辞書
米内光政[よない みつまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

米内光政 : ウィキペディア日本語版
米内光政[よない みつまさ]

米内 光政(よない みつまさ、1880年明治13年)3月2日 - 1948年昭和23年)4月20日)は、日本海軍軍人政治家。最終階級は海軍大将位階従二位勲等勲一等功級功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣第37代内閣総理大臣
== 生涯 ==

=== 出生から海軍兵学校時代 ===
1880年明治13年)、岩手県盛岡市に旧盛岡藩士・米内受政の長男として生まれる。1886年(明治19年)、鍛冶町尋常小学校に入学。1891年(明治24年)、盛岡高等小学校に入学。1894年(明治27年)、岩手県尋常中学校に入学。1898年(明治31年)、海軍兵学校29期に入校。同期生には高橋三吉藤田尚徳佐久間勉八角三郎(中学も同期)らがいる。兵学校では「グズ政」という渾名がついた。
当時の米内のノートは記述の質・量が膨大であり、ひとつの問題に対して自分が納得が行くまであらゆる角度からアプローチをかけ問題を解決している。これは詰め込み式教育が当たり前だった海軍教育においては珍しい勉強法であった。米内の勉強法を知っていた当時の教官は「彼は上手くいけば化ける。いや、それ以上の逸材になるかも知れない」と目を掛け、多少の成績の不振でも米内をかばい続け、何とか米内を海軍兵学校から卒業させた。後に同期の藤田尚徳は人事局長時代、当時の呉鎮守府司令長官・谷口尚真から「君のクラスでは誰が一番有望かね?」という質問に即座に「それは米内です」と答えたという。谷口はそれに「そうか。僕も同意見だ。ただ米内君は面倒くさがり屋で、その面倒くさがりの度が少し過ぎてやせんかと思うがね」と答えたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「米内光政」の詳細全文を読む




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