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米山 正夫(よねやま まさお、1912年(大正元年)10月3日 - 1985年(昭和60年)2月22日)は、日本の作曲家である。 == 人物 == 東京・穏田に生まれる〔散策マップNo.3 『JR原宿駅から、妙円寺まで』 渋谷歴史散歩の会、2002年(平成14年)4月発行〕。成蹊中学校・高等学校に進むが、音楽の道を諦めきれずに東洋音楽学校へ転入する。 1934年にピアノ科を首席で卒業し、藤原義江のピアノ伴奏などで修行を重ねる。 同年に江戸川蘭子の「春の謳歌」で作曲家デビュー。 1936年、ポリドールレコードの廉価盤だったコロナレコードのピアノ伴奏者となるが、コロナレコードが成功したことから、専属作曲家となった。大東亜戦争中の1942年には高峰秀子の歌で歌謡曲「森の水車」を発表するも、敵性的な楽曲であるとして、発売4日で発禁処分となった。 1944年、満州国奉天中央放送局勤務となる。前年に大東亜レコード(ポリドールレコード)が大東亜航空工業に改名し、閉鎖したためである。1945年5月、関東軍に現地応召を受ける。敗戦と同時にシベリアのコムソモリスク地区に抑留されたが翌年12月に帰国。復員後は住む場所が無かったので、弟の家で居候生活をした。 1947年、親友である近江俊郎の尽力で『NHKラジオ歌謡』で放送された『山小舎の灯』を手掛けヒット。これが作曲家として初の大ヒットとなり、「南の薔薇」、「森の水車」などが続けてヒットし、コロムビア専属作曲家となる。その頃、同じく復員してきた青木光一と再会。その後も、『リンゴ追分』、『車屋さん』、『津軽のふるさと』、『長崎の蝶々さん』など、初期の美空ひばりのヒット曲を数多く手掛けた。 1963年、クラウンレコード創設と共に同社の専属になり、西郷輝彦「涙をありがとう」、美樹克彦「花はおそかった」、水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』、小林旭『赤いトラクター』、同じくヤンマーの『ヤン坊マー坊天気予報』のテーマ曲としてお馴染みの『ヤン坊マー坊の唄』など多くのヒット作品を残した。 1981年には紫綬褒章を受章。 1985年2月22日、長年患っていた糖尿病から肺炎を併発して死去。享年72。死後に勲四等旭日小綬章を追贈された。 葬儀では愛弟子である美空ひばりが弔辞を読んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米山正夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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