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米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)である。遊撃手として強肩に定評があり、近鉄および阪神では捕手へのコンバートも検討された〔読売新聞、1994年5月11日付夕刊、P.3〕。大阪府豊中市出身。 == 来歴・人物 == 此花学院では3年夏にKKコンビを擁するPL学園に大阪大会準々決勝で敗れるなど、甲子園出場はならなかった。高校卒業後は日本生命に入社し、とには松下電器の補強選手として都市対抗に出場。また1988年には守備を評価されて〔ソウル五輪代表に野手最年少の20歳で選出された。予選の対オランダ戦では2番・遊撃手で先発出場して1打数1安打、1四球の成績を残し〔別冊宝島、1545号、P.70〕、銀メダルを獲得している。 同年のドラフト会議で近鉄から1位で指名され、契約金6,500万円、年俸720万円(推定)で入団契約を結んだ〔読売新聞、1988年12月13日付朝刊、P.19〕。走攻守三拍子が揃った選手として仰木彬監督からは野球センスを評価され〔読売新聞、1989年1月27日付朝刊、P.19〕、1年目のからスタメンで起用された。同年の日本シリーズでは第1戦で真喜志康永の代打として出場している〔1989年の日本シリーズ第1戦 NPB公式記録 〕。その後は真喜志や吉田剛、安達俊也らと遊撃手のポジションを争うも、攻守で隙を見せる事があり首脳陣の信頼が薄かった〔読売新聞、1992年2月28日付朝刊、P.19〕。4年目のはコーチに着任した今津光男から走塁を積極的に教わるなどキャンプではレギュラー争いを期待された〔が、シーズンでは5試合の出場に終わった。 に嶋田章弘とのトレードで阪神へ移籍し、打撃が伸び悩んでいた久慈照嘉との競争が期待された〔読売新聞、1994年3月9日付夕刊、P.3〕。同年は出場試合数が53試合に増えたものの、が最後の一軍出場となり限りで現役を引退。その後は地元の豊中市で焼き鳥店を経営していたが閉店。現在は兵庫県宝塚市内の会社に勤務。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「米崎薫臣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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